So-net無料ブログ作成
検索選択
前の1件 | -

170324読んだ本

いい加減なこと書くなよと当人のブログにコメントしようかと考えたけど、いいね!が多いとはいえ
社会的影響力あるブログとも思えず止めた^_^; 思い付いたことを書いて楽しんでおられるようだが、
ヤフーで検索すると最上位に出てきたので、ちょっと、一言いいですか?(._+ )☆ヾ( ̄ヘ ̄; )マタソレカ

【読んだ本】

久保田淳『新古今和歌集全注釈 五』(角川学芸出版,2012)所蔵本

貧乏暇なしも寸暇があれば、お気に入りの歌を各注釈書でチェックしてる(^^) 藤原良経の新古今集の
歌番号1667(1665の本も)「忘れじの人だに訪はぬ山路かな桜は雪に降りかはれども」もその一つ(^^)
本書は「歌意」を「忘れまいと約束した人でさえ訪れようとしない山路だなぁ。春の桜が冬の雪と、
降るものは変わって、一年が過ぎようとしているのに・・・・・・。」としてる(^^) 〈「忘れじの人」
という句に、かすかに恋めいた情趣を漂わせている。〉と「鑑賞」で指摘するが、新古今集の撰者らは
同歌を恋歌とせず雑歌に入れた(^^) 窪田空穂『完本新古今和歌集評釈』下巻(東京堂出版,1965)は、
「我を忘れまいといった人さえも、訪うては来ないわが山家であるよ。桜が雪と降る春の別れから、
それがまことの雪に降り変わる冬になっても。」と、恋のニュアンスも感じられる「釈」だけど^_^;
この歌は下の句が肝だと思うんだよね(^^) 窪田は(何故か「桜に雪は降り変れども」となってるが)
〈・・・加えて、落花の譬喩の雪とまことの雪とを「降り変る」という語で、総合しているところ、
いずれも巧みである。〉と「評」してるし、石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂出版,1960)も
〈「春から冬に時節は變わったけれど」という意を眼前霏々と散る落花と白雪とを以て客観的・具象的
に描いたところに、新古今風の一面が見られる。〉と「釋」に(^^) でも、久保田淳の本書によれば、
〈「桜は雪に降りかはれども」という句は美しいが、これは「参考歌」として引いた定家の歌[こと
ゝはで契しみちもたえにけり桜の雪にふりかはるまで]に負うのであろう。〉^_^; 良経のを検索したら
ブログ「団塊世代の寝言~退職したお父んのつぶやき・・・」の2016年1月11日の記事がヒットし、
〈一見、「恋歌」のように見えるが、これは良経(摂政太政大臣)と藤原定家との情交を詠ったもの
で、「忘れじの人」は定家を差[ママ]す。〉とあり、へぇ~(゚o゚;) 全く知らなかった解釈だけど、
どなたの説なのかしら(@_@) ただ、この歌の「撰者名注記」は有家、定家、家隆ゆえ、約束を違えて
1年も訪ねなかった不実をも詠んでいる歌を詠まれた本人が選ぶというのは強心臓だし、有家と家隆も
そんな作歌事情を知りながら選んだのなら人が悪いね^_^; しかも、久保田淳校注『新潮日本古典集成
新古今和歌集』上巻(新潮社,1979)の言葉を借りれば、定家は九条家の「家司のごとき役割を勤め」
てるはずなのに良経を1年も訪ねないというのは不審(@_@) と思っていたら、同記事は〈「山路」は
ここでは人の道、儘ならぬ人と人との軋轢、人事、微妙な政治的意味合いが込められているのだろう。
摂政太政大臣という要職にあった良経としては、いろんな意味で、自由な交際は出来かねた、という
現実が「山路」という呻き声となって表白されている。〉と(゚o゚;) つまり、定家の不実というより、
良経が「摂政太政大臣という要職にあった」ことにあると(゚o゚;) 良経は建仁2年(1202年)に摂政に、
元久元年(1204年)に更に太政大臣に任ぜられ、元久3年(1206年)3月7日に急死したから、この歌が
詠まれてる時期はメチャ限られていて、良経の日記「殿記」と定家の日記「明月記」とを照合すれば、
定家が良経を1年も訪ねなかった期間も判るわけだ(^^)v でも、久保田淳『新古今和歌集全注釈 一』
(角川学芸出版,2011)からの孫引きだけど、良経が執筆した新古今和歌集の仮名序の草稿が完成した
(新古今集の竟宴後の)元久2年(1205年)3月29日に関し「明月記」の同日の条に「廿九日、天晴、
・・・次参殿下。・・・又仮名序草賜見之。・・・」とあって、良経に会った上で、仮名序の草稿を
定家は見せて貰ってると思われるが(..) そもそも、この良経の歌は、〈「正治二年院初度百首」の
「山家」の題詠。〉と、この記事も書いているように、正治2年(1200年)に詠まれた歌じゃん(-"-)
〈摂政太政大臣という要職にあった良経としては、いろんな意味で、自由な交際は出来かねた、という
現実が「山路」という呻き声となって表白されている。〉なんて、どっから導き出せるのかしら(-"-)
記事冒頭の「忘れじの人だに問わぬ山路かな桜は雪に降り変われども」という仮名遣いも恥しいし、
〈これは良経(摂政太政大臣)と藤原定家との情交を詠ったもので、「忘れじの人」は定家を差す。〉
も、ちゃんとした文献上の根拠があるのか怪しく思えてきた(..) 文字通り「団塊の世代の寝言」^_^;

この記事を「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」にアップしてれば広告も消せたじゃんかorz
タグ:古典 和歌
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:
前の1件 | -