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161129読んだ本&買った本

「2017年3月5日頃に付与させていただきます。」だなんて、もし付与されなくても気付かないよ^_^;

【読んだ本】

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

再読終了(^^) 今年のベストかもと年初に書いたのが、しょーもない屑本を読んじゃった反射効によって
高評したわけではなかったことを確認(^^) ただ、当ブログを読み返せば、他にベスト候補あるかも^_^;
本書からは多くを学べたm(__)m 例えば、山部赤人の「ももしきの 大宮人はいとまあれや、桜かざして
今日も暮しつ」の「桜かざして」の語釈を、久保田淳『新古今和歌集全評釈』(講談社,1976)第一巻で
見ると、「桜を挿頭[かざし]として。上代人の間には、柳、梅、桜、百合など、その季節の花を髪に
挿したり、鬘[かずら](かぶり物)としたりして飾りとする習慣があった。」との説明で歌意理解には
充分だが、本書は更に深く〈なぜ〉を解き明かしてくれる(^^) 「おぼろ月夜」の節で「『伊勢物語』の
男たちも約束のように桜の枝を折ってかざしに挿している[←第八十二段で森野宗明校注現代語訳
『伊勢物語』(講談社文庫,1972)だと「枝ををりてかざしにさして」]。こういう行動が鎮魂としての桜狩の
第一の目的である。豊かに咲き満ちた桜の花のもっている生命力、それを身に近くおくことによって感染
の効果を期待するのである。もちろん、そんな呪的な目的は逍遥の楽しさに心を奪われている王朝びとの
意識には上ってこないであろう。しかし、桜をかざすという動作だけは無意識の伝承として忘れられて
いないのである。」(゚ロ゚;) なお、片桐洋一『原文&現代語訳シリーズ 古今和歌集』(笠間書院,2005)は、
歌番号36の源常の「鶯の笠に縫ふといふ梅の花折りてかざさむ老いかくるやと」の「かざさむ」の
脚注が「花を頭に挿すのは花の生気で邪気を払い、不老長寿をことほぐことであった。」と説明してて
流石(^^) だが、脚注間のクロス・リファレンスが相変わらずダメ(+_+) 歌番号276の脚注は「菊は長寿の
シンボルであったので、頭にさして不老長寿を祈った。二七〇参照。」で36は挙げられてなく、参照先の
歌番号270の脚注には「菊に限らず花を頭にさすことも我が国古来の不老長寿の法であった。」としか
書いてない(+_+) 更に歌番号352も「不老長寿を寿ぐために頭に挿す花。」、歌番号911も「普通は花や木
を髪に挿して一年の健康を予祝するためのもの。」としか説明してない(-_-) 本書に戻ると、素性法師の
〈「いま来む」と 言ひしばかりに、長月の有明の月を待ち出でつるかな〉の解釈には目から鱗(@_@;)
ヨリ敷衍的な『王朝びとの恋』(大修館書店,2003)曰く「ついでに言っておきたいのは、右の素性法師
の歌が単に男を待つ女の秋の一夜の体験を空想しているのではないことだ。古く、結婚は秋を季節として
いたものらしい。春に約束した男女が秋を待って結婚する。結婚が秋の季節のものだった時代があるらし
い(拙著『新考王朝恋詞の研究』)。だから、この歌の主人公である女は、秋になって男の訪れを待って
いた。「いま来む」はすぐに行くよという、別れに際しての男の常套句だが、女はそのことばを信じて
文月(七月)・葉月(八月)と待ち過ごし、秋も最後の長月(九月)となって、それも有明の月の出る
下旬の頃になってしまった。もはや男の訪れはないかも知れない。契りおいたことばは反古になろうと
しているのではないか。そんな思いにもだえるように、月に向って物思いをしている。非常に劇的な設定
を凝らしてある歌なのだ。」(゚ロ゚;) 百人一首の代表的な注釈書を複数精読したが、月来説でこのような
解釈は見当らない(@_@;) 本書の当該節(「心づくしの秋」)では「王朝びとは秋を結婚の季節とした
らしい。」という一文の前に、「まだその理由がはっきりと説明できないけれども、」と断っているが、
「つれづれのながめ」の節では、「五月は言うまでもなく田植えの月である。・・・稲の一年をもって
人間の一年としている農村の生活では、田植えと刈り上げは最も重要な行事であり、大きな祭りなので
あった。」とした上で「さみだれのころには神の群行があって、神々の生活がそこに存在する。だから、
人間の生活は非常に逼塞せられるわけである。五月はもの忌みの月で、厳重な謹慎の生活をしなければ
ならない。人間としての生活、男女の間のまじわりなども禁じられている。『枕草子』を見ると、宮廷で
は五月には天皇とおきさきとが離れて暮らしている(八十七段)。」とあり、更に「螢」の節で「・・・
この月[さつき]は忌み月だから結婚を避けるという習俗があったことが知られる。」とあり、これが
「理由」かしら(..) 「農村生活から離れて、農耕の時に対する関心など忘れてしまった王朝の貴族」の
ようだが、実は「王朝びとの季節感は、根本に農村の生活があって、農村的な年中行事と深く結び付いて
いる。」こと、「四季おりおりにつけて、自然が人間の内面生活と密接なかかわりを持っている」こと、
「平安朝の生活はそれ以後の日本人の生活の基本となり、規範となって、現代に至るまで伝統が続いて
いる」ことなどを本書は種々の古典作品に依拠して解き明かしてくれる(゚ロ゚;) 久しぶりに知的興奮(^^)
気になる点も^_^; 細かいことから順に指摘してくと、「秋の初風」の節に「槿花一朝の栄」とあるが、
「槿花一朝の夢」あるいは「槿花一日の栄」が正しくないか^_^; また同節で「人の秋に 庭さへ荒れて、
道もなく、蓬茂れる宿 とやは見ぬ」という歌を引き、出典を「(『平中物語』三十六段)」とするが、
目加田さくを全訳注『平仲物語』(講談社学術文庫,1979)だと同歌は「第三十七段 ならの木の並ぶ門」
に出てる^_^; 次に、「もちがゆの節供」の節で道綱の母が呪言として「三十日三十夜はわがものに」と
言って大ウケしたもんだから、消息として兼家へ送ったわけだが、「これを見た兼家がどう感じたか、
そこまではわからない。」とあるので、上村悦子全訳注『蜻蛉日記(中)』(講談社学術文庫,1978)で
確認したら、年始で多忙なはずの兼家から返歌があり、その返歌も載ってるのだが^_^; 更に挙げると、
「心づくしの秋」の節で、「『万葉集』と『古今集』とでは、日本人の秋の情緒の感じ方に非常に大きな
落差がある。・・・『万葉集』の秋は、明るく、はなやかな色どりに飾られている。/ところが、『古今集』
の秋はもの悲しい、淋しい秋である。」のは「実は、秋をもの悲しい季節と感じることは、王朝びとの
恋愛生活に深いかかわりを持っている。」として詳論してるが、取り上げてる読人知らずの歌「木の間
より漏り来る月の光見れば、心づくしの秋は 来にけり」を、片桐・前掲書に当たったら(歌番号184)、
脚注には〈※以下、秋を悲しとする歌が続く。秋を悲しととらえる歌は「万葉集」にはなく、古今集に
始まるが、淵源は中国。特に六朝や唐の詩に多い。〉とある(@_@) 本書も随所で行事等が元は中国からの
伝播であることには触れてるけど、王朝びとが秋をもの悲しい季節と感じることはどうなのかしら(@_@)
ただ、片桐の言う六朝時代は222~589年なんだから、万葉びと(万葉集)にも影響してそうだけど^_^;
最後に、本書の「(やま)ほととぎす」に関する視点や解釈などは非常に説得力があるのに(益田勝実も
「蒙をひらかれ」たことを「解説」で告白してる)、新古今集の各注釈書の解釈などには反映されてない
ことを前に書いたけど、どうもそれだけじゃないみたい(@_@) 例えば、〈秋になったら、と男女が結婚
を約束することは、「秋かけて言ふ」という慣用句をさえ生んでいる。〉と記すも、そう書いてる本は
まだ見つからない(..) これも「民俗学的国文学」と「アカデミーの国文学」との違いなら不毛だな(+_+)
とまれ、本書には愉しい知識が満載だし、今後は枕元に置いて、何度もじっくりと読み込むつもり(^^)

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

【買った本】

久保田淳『新古今和歌集全注釈 一』(角川学芸出版,2011)

石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂出版,1960)は購入当時の定価が14000円だったけど、本書は
全六巻の内の一冊で16200円(゚ロ゚;) 上記の赤人の歌の「桜かざして」の語釈は全く変わってなかったし、
元取れるかしら(..) 講談社版との違いは、ヒモが付いてないこと、各歌の「作者」欄における表記が
「藤原良経。」「後鳥羽院。」「式子内親王。」・・・という具合で、これってモーニング娘。かよ^_^;

NHK取材班編『太平洋戦争 日本の敗因2 ガダルカナル 学ばざる軍隊』(角川文庫,1995)

乾電池を買いに繁華街へ出掛けたら、29日と気付き、寄るだけのつもりが108円だし買っちゃった(+_+)
角川文庫のNHK取材班の昭和史のは全17冊所蔵も、本書だけカバーが違うので買い換えたかった^_^;
あれれ、NHK取材班&下斗米伸夫『国際スパイ ゾルゲの真実』(1995年)のカバーも違ってた(+_+)

杉本苑子『隠々洞ききがき抄~天和のお七火事』(文春文庫,1992)
杉本苑子『虚空を風が吹く』(文春文庫,1995)

年内は本を買わないと決めてたのに、いったん禁を破るとダメだな(+_+) ともに108円だったから(..)

関根慶子訳注『更級日記(上)』(講談社学術文庫,1977)
関根慶子訳注『更級日記(下)』(講談社学術文庫,1977)

百目鬼恭三郎『乱読すれば良書に当たる』(新潮社,1985)は本書より新潮日本古典集成のを推奨してた
けど、ともに108円だったから(..) 一昨日の記事だが、源氏五十余巻をくれたのは、本書上巻によると、
「『蜻蛉日記』の作者も伯母に当るが、解説(下巻)に述べたような年齢関係から適当でない。」云々
とあった^_^; また本書下巻を確認してみたら、作者は任国の信濃へ下る夫には同行してないみたい^_^;

割引券もらっちゃったから、年内にまたブックオフへ行かなきゃ(..)
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