So-net無料ブログ作成
検索選択

170323読んだ本

「春眠暁を覚えず」だと? 年のせいか季節に関係なく夜明け前に目が覚めちゃう(;_;) 慢性寝不足(+_+)
両ブログともレイアウトが崩れた原因と思しき3文字を2月6日以降の記事から昨夜削除したがダメ(+_+)

【読んだ本】

駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)所蔵本

大ベストセラーだけど間違いも指摘(谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』[文藝春秋,2005]が紹介
してて「吉川幸次郎には唐詩の読解力がないのみならず、注釈書を参照する気もなく、一般に流布して
いる辞書も引かない。それで学者面は何と厚顏しい。」と容赦ない)されてる、吉川幸次郎&三好達治
『新唐詩選』(岩波新書,1952)で、孟浩然の「春暁」を鑑賞^_^; その第四句を「花落つること知んぬ
多少ぞ」と訳して、〈最後の句の「知多少」は、多少[いかほど]なるを知らんや、従って実は「不知
多少」、多少[いかほど]なるを知らず、の意である。ある解釈には多少とは多きことといい、たくさん
散りしいたであろうと説いているが、そうではない。〉と解説(@_@) これに対して、本書は〈「知んぬ
多少ぞ」という言い方は日本語としておかしい。〉とし、「多少」という語句を用いた杜牧の詩を例に
引いて、この〈「多少」の「少」は添え字であって、意味を持たないのである。「多少の」が「多くの」
という意味であることは、この詩の場合、明らかであろう。/勿論、「多少」には「どれほど」という
意味もある。だが「どれほど」というのは「どれほど多くの」ということであって、「どれほど少なく
の」ということではない。〉とし、〈・・・私は「春暁」の結句を「花落ること多少[たしょう]なる
を知る」と読んだのだが、いっそのこと「花落ること多少[おおき]を知る」と読んだ方がよいかも
しれないと思っている。〉___φ( ̄^ ̄ )メモメモ そして、〈「春眠暁を覚えず」という言葉は、一般には
春のうららかさ、のどかさをあらわす言葉として使われているが、原詩では、のどかな眠りのむこう側
に、悔いの気持ちもふくまれているのである。―――そういえば昨夜[ゆうべ]はずっと雨風の音が
していたが、さぞかし花がたくさん散ってしまったことだろう、という咏歎のなかにそれがあらわれて
いる。「花落ること知んぬ多少ぞ」という気取った口調では、それが感じ取れないのではなかろうか。〉
と〆る(^^) 関係ないが、「ちよつと気取つて書け」は丸谷才一『文章読本』(中公文庫,1980)^_^;

カレー沢薫『ブスの本懐』(太田出版,2016)所蔵本

更新してないから昨日から広告が出っちゃってるけど、どうしたもんかね(..) てるる、強ぇ~(゚o゚;)
タグ:中国 古典
コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

コメント 2

ぽちの輔

私も夜中に目が覚める事が多いので
毎日昼間に眠たくなります^^;

by ぽちの輔 (2017-03-24 07:41) 

middrinn

ですよねぇ~^_^;
日中は眠くて眠くてツラいのですが、
ぽちの輔さんのブログを読むと、
シャキッとします(^^)
by middrinn (2017-03-24 19:51) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。