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170711読んだ本

いつから「加害者」が「被害届」を出せるようになったんだ^_^; 今朝のスポニチアネックスの記事に
〈オリックスは・・・被害届などを提出しない方針を固めた。/森川球団管理部長は「業者と球団が
加害者で被害者が中島選手。・・・」と話し、・・・〉とあるけど、頭が悪いのは記者か球団か(@_@)

【読んだ本】

杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(二)』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

目次を眺めてて、気になる章見出しがあり、我慢できずに「蘇武」なる章を開いちゃった^_^; が、
その前の「卒都婆流[そとばながし]」という章から読まねばならぬらしく、同章を読み始めると、
更に前章「康頼祝言[やすよりのつと]」からが、一かたまりの語りと判明(@_@) 「康頼祝言」は、
鹿ケ谷の謀議が露見して鬼界ケ島に流された3人だが、丹波少将(藤原成経)と(平)康頼入道は
熊野信仰に篤く、島内の似てる地形を熊野三山に見立てて、帰京を祈願し始めた云々という話(^^)
ソレに俊寛が参加しなかった理由が爆笑もんで、曰く「・・・俊寛僧都は、天性不信第一の人にて、
是を用ゐず。」とあり、〈現代語訳〉だと「・・・俊寛僧都は元来まったく不信仰の人で、これを
うけいれない。」だと(^。^;) 後に俊寛だけ赦免されず「・・・島にとりのこされることになるが、
その伏線となる叙述である。」と〈解説〉されてるが、第一巻の〈語釈〉には「僧都は僧正に次ぐ
僧官。」とあるのに「天性不信第一の人」=「生まれつき」「信仰心のまったくない人」かよ^_^;
善意に解せば、この「信仰心」とは、狭~く熊野信仰のことだけを指す、ということかしらね^_^;
「卒都婆流」は、康頼が卒都婆を千本作って名前や2首の歌等を書いて流したところ、一本が厳島に
流れ着き、家族の手に渡り、これが後白河法皇、更には小松の大臣(平重盛)、入道相国(平清盛)
の目にも留まり、「入道相国も木石ではないので、さすがに卒都婆の歌に感じて、哀れなことだと
言われたのであった。」由(;_;) その歌は、「さつまがたおきのこじまに我ありとおやにはつげよ
やへのしほかぜ」(〈現代語訳〉は「薩摩潟のはるか沖の小島にこの私のいることを、どうか親に
告げ知らせてほしい、海をわたって吹く潮風よ」)と「思ひやれしばしと思ふ旅だにもなほふるさとは
こひしきものを」(〈現代語訳〉は「ほんのわずかな間の旅でさえ、故郷は恋しいもの、まして遠く
島流しとなっているこの私の切実な望郷の思いを、察してください」)で、前者の歌は久保田淳校注
『千載和歌集』(岩波文庫,1986)で、後者の歌は次田香澄校訂『玉葉和歌集』(岩波文庫,1944)で、
詞書も含め確認(^^) ただ、前者の〈現代語訳〉だけど、「この私のいることを、」となってるとこは
片野達郎&松野陽一校注『新 日本古典文学大系10 千載和歌集』(岩波書店,1993)のように「・・・
私は生きながらえていると、・・・」の方が良いわな^_^; だって、都の人々は康頼らがとっくの昔に
死んだと思ってたわけだからね^_^; ちなみに、この話は杉本苑子の作品で読んだ記憶があったので、
本棚を眺めてソレと思しき本を調べたけど見付からなかった(+_+) でも、このブログ内を「康頼」で
検索したら見付かった(^。^;) 『悲劇の風雲児』(講談社文庫,1994)所収の「火焔浄土」という短篇に
この〈康頼の卒塔婆流し〉の話も出てた(^^) ちなみに、その後の俊寛を小説化した好篇「朝焼け」が
『海の翡翠』(旺文社文庫,1986 → 角川文庫,1988)に載っていることは流石に記憶していたぞ(^^)v

和歌の部分を読み飛ばしたら、その古典作品を読んだことにはならないと思うのだが^_^;
タグ:古典 和歌
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