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161031読んだ本

電車内で周囲はスマホだらけの中、独り昂然とガラケーを操作するおっさんが勇者に見えた(;_; )ナケルゼ

【読んだ本】

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

文字通り味読してきた本書も読了して大満足であるとともに読み終えてしまったのが淋しくもある(;_;)
付箋を貼った箇所の中から特に気になった件を少しだけメモ(^^) 「文学と書物とは本来不可分の関係に
ある。・・・文学に現れた書巻の気の多少が直にその作者の読書力を計量する道具にはならぬにせよ、
全然没交渉だとするわけには行かぬであろう。」〈芥川龍之介氏は自家の蒐集について「少くとも僕の
架上の書籍は僕の好みを示している。あるいはいろいろの時期における好みの変遷を示している。その
点では――僕というものを示している点では僕の作品と選ぶ所はない。・・・」といった。〉「奇書の自ら
愛書の人に属することは、[伊沢]蘭軒の説の如くである。一たび売却した書物を復架上に置き得る
清福に至っては、何人もこれを羨まずにおられぬであろう。」「古来どれだけ貴重な書物が火のために
失われ、永久に見ることが出来なくなっているであろう。人間に取って最も必要な火が、文化的至宝たる
書物を焼く立場になっているのは、一種不可思議な運命といわなければならぬ。」「書物の名は著者の
性格なり趣味なりを表現する。・・・子供の名前には親の性格なり趣味なりが窺われる。書物の名は子供の
名前に相当すべきものであろう。子供に気取った名前をつける人は、どこか共通した厭味があるものだ
という説を聞いたことがある。装幀と服装との間にもほぼ同様の消息が認められるかと思う。」(^^)

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

帰りの電車ではむくつけき顏のリーマンがリボンをあしらった大輪のバラの花束を片手に乗ってきた^_^;
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161030読んだ本&(昨日)買った本

ハロウィンと恵方巻は、子供の時分には無かったから、何の感懐も湧いてこないイヴェントである(..)

【読んだ本】

杉本苑子『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所蔵本

「泉涌寺―清少納言―」のメモ(^^) 昔は「仙遊寺」と書いたが、泉の湧く寺ということで、「泉涌寺
[せんゆうじ]」と改めたが、今は「せんにゅうじ」と読む(^^) 「神社の社殿とか寺の本堂など巨きな
建物は」普通は「下から仰ぎ見る」ものだが、泉涌寺の場合、「諸堂はすり鉢の底に建てられ、大門は
すり鉢の縁に在る。門をくぐった参拝者は、ゆるやかな下り坂をたどって、仏殿におりる形になるのだ。
〝常識〟とは逆な、この接近の仕方は、なんともふしぎな感銘を、私たちに与えずにおかない。
湖の中の仏国、濁世の奥底にいとなまれている清浄世界・・・・・・。もし、そういうものがあるとすれば、
ひと足ごとにそこへ近づいて行くような、ここちよいときめきに捉われるのである。」(^^) 「皇室の厚い
帰依を受け、その香華所となったため、天皇皇族、后や女御の陵、御墓所などが多く造営され」るなどの
特殊性から泉涌寺は「御寺[みてら]」の名で一般に親しまれてること(^^) 「定子皇后」が崩じた後、
清少納言はどうなったのかに関して、「再婚説、二度目の宮仕え説、遠国への流浪説などいろいろある
中で、もっとも自然で、しかも納得のゆく帰結は、[この]月輪の[里にある清原家の]山荘に引き
こもり、亡き皇后の奥城をお守りしつつ後半生をすごしたのではないか、との推測だろう。」(^^) あと
「泉涌寺と切り離せないのが楊貴妃観音」とのこと(^^) 「お口のまわりや顎に」あるのは髭に非ず^_^;

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

【(昨日)買った本】

海音寺潮五郎『風に鳴る樹』上(六興出版,1984)

天・小口・地の目立つシミはさておき、本が歪んでいる上に中割れが3ヶ所も(+_+) 古本屋の百円棚に
相応しい代物で、「良」で五千円以上の値をよく付けたわな(@_@) いずれ安いのが出たら買い直す(..)

海音寺潮五郎『風に鳴る樹』下(六興出版,1984)

今日届いたが、8000円と高めも、この出品者の「非常に良い」は今回も適正な評価(^^) 「天と小口に
わずかにシミ」は、そばかす程度だから、キャンディ・キャンディは気にしない(^^)v 「チリの部分に
2カ所小さなキズ」は微細に観察すればソレらしきものも無いではないが他出品者なら言及しない(^^)

頭痛は治ったから残るは咳だけ^_^; 昨日からダウン・ベスト着用し、夏から一気に冬になった感(-_-)
タグ:歴史 紀行 列伝
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161029読んだ本

喉の痛みは消えたが、頭痛が酷いし、吐き気一歩手前の気持ち悪さは、薬の副作用か症状の悪化か(+_+)

【読んだ本】

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

読了(^^) 本書は一応面白く読めたんだけど、著者が力説してるような「この世に現われた、もっとも
理想的な男性」とは到底思えず、神の怒りをかっても気付かぬほど罪障感の欠片すら無い上に、他人の
過ちはネチネチいたぶって死に追い込むのには嫌悪感すら覚えたので、「光源氏だーいきらい!」(-"-)
← 河合克敏『とめはねっ! 鈴里高校書道部』(小学館ヤングサンデーコミックス,2012)第十巻での
望月結希(主人公じゃないのに第一巻の表紙なのは何故?)のセリフを援用(^^) 谷沢永一『紙つぶて
自作自注最終版』(文藝春秋,2005)曰く、「鼎談『「源氏物語」を読む』(筑摩書房)では源氏の本文
が読めていない鈍感な秋山虔と池田弥三郎を相手に、彼等の面子を損なわないよう清水好子は気苦労し
ながら仄めかしの説得を試みている。」云々と(@_@) 著者は『源氏物語』を誤読しているらしいのだが、
何せ小生は『源氏物語』の内容に関して全く無知なので、本書に対してはアレコレ言う資格はない(..)
が、『源氏物語』の入門書として読んだので、気になる点はある^_^; なお、本書は今も現役で新刊書店に
あるみたいだけど、小生のは1984年7月25日発行第38刷(^^) さて、叙述は初心者向けに配慮されてて、
大変丁寧だから良かったし(ただし、「葵の上」の名前だけが突如出てくる箇所があって、誰なん?と
前を探すとその名を出さずに言及している件があり、その件は巻末の索引にも出ていない(-_-))、特に
随所に関係者の系図が出てくるのはありがたい(^^) でも、その系図の名前が本文に出ていた名前と
違うので戸惑うことがあったりして、その数頁後に昇進してたことが判明とか、「境遇が変わると呼び名も
変わります」と冒頭に断ってはいるけど、本文叙述を踏まえた系図掲載頁にしてほしい(-_-) とはいえ、
このくらいの努力を読み手に強いるのは受忍限度内だろうから、これは大したことじゃないけどね^_^;
また、本書は〈長くて複雑な源氏物語の内容を、大胆にカットしてみました。そして「光源氏の一生」
という筋道に、源氏物語の内容を再構成してみました。〉とあるけど、光源氏を中心とした人間関係に
ついての最低限の基礎知識を得たかった小生としては、何を「カット」したのかが非常に気になる(..)
「源氏物語五十四巻のうち、光源氏を主人公として、その一生を書いた部分は、第一巻から第四十一巻
までです。」と本書にあるから、勿論その範囲内でだけど(^^) んで、例によって、芸術新潮の出番^_^;
同誌2008年2月号が「源氏物語 天皇になれなかった皇子のものがたり」と題した「源氏物語千年紀記念
特集」を組んでて「国宝《源氏物語絵巻》全56面一挙掲載!」等してる(^^) 三田村雅子の同特集の解説
がメチャ興味津々な内容なので、のんびり読んでいこうと思ってるんだけど、同特集の末尾に編集部に
よる「10分で読める『源氏物語』」が^_^; 各巻ごとの主要人物&あらすじが載ってる上に、よく出来た
人間関係図が3つあって、名前を忘れっぽい小生としては同誌は必携(^^) そこで、先ずは「第一巻から
第四十一巻まで」に登場する主要人物を見たんだけど、「空蝉」「末摘花」「麗景殿女御」「朝顔の君」
は本書では見たことないんですが、「カットして」もいい人たちなのかしら(..) 同誌同記事であらすじ
を読んで更に驚いた(@_@;) 光源氏が、玉蔓をその実父・内大臣(頭の中将)に会わせず、六条院に
引き取ったのは、玉蔓のためを思った深~い配慮に基づくヒギンズ教授ごっこと本書は強調してたけど、
同誌同記事によると、「多くの男たちが玉蔓の虜となり、養父・光源氏までが言い寄る。」(胡蝶)、
「光源氏は玉蔓に急接近するものの、ことには及ばず。」(篝火)、「台風のお見舞いに六条院を訪れた
夕霧が、紫の上をかいま見て一目惚れ。嵐にまぎれ、光源氏と玉蔓のあやしい関係まで覗き見る。」
(野分)だと(゚ロ゚;)エェッ!? 下心あったことを「カット」したな(-_-) しかし、一番びっくらこいたのは
「須磨」の件(@_@) スキャンダル(本人はそう思ってない!)から自らを追い落とす陰謀が進んでるのに
嫌気が差して、光源氏は都を離れて須磨に赴くわけだが、どうして須磨の地なのかを解説している件で、
そもそも須磨という地は「わびしい思いをそそるところ」であること、「都で罪をえた人々が」やって
くるところであること、「昔、関があり」「須磨は摂津の国の西のはずれ」で「須磨の関を越えると」
播磨の国に入り、都からは「地方の国々」「さびしい、遠い国々」となることなどなどが説明されてて、
ここまではナルホドと読んだ(^^) ところが、その後に続けて、「ですから、須磨の関や、須磨の関の
番人たちは、昔から、よく歌に歌われました。都の人々の文学的な心をそそる題材でした。/淡路島
かよう千鳥の 鳴く声に いく夜寝ざめぬ 須磨の関守」(゚o゚;)ナンデスト? 百人一首の歌で有名だから作者
を明記しなかったのかもしらんが、源兼昌の歌なわけだけど、これは『源氏物語』の中の光源氏の歌を
踏まえて詠まれたものであることは、石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)、島津忠夫訳注
『新版 百人一首』(角川文庫,1984改版22版)及び同(角川ソフィア文庫,2008新版16版)、安東次男
『百人一首』(新潮文庫,1976)など一致してるぞ^_^; 「昔から、よく歌に歌われました」と言うなら、
『源氏物語』以前に詠まれた歌を例として挙げろよ(-"-) そんな感じで、全く『源氏物語』の内容を
知らなかった小生としては読んでタメになったけれど、どこまで信じていいのやら、といったとこ^_^;

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

何冊か新しい本を読み出そうとしたけど、読めるような状態じゃなくて、数行で断念(+_+)
タグ:評論 古典 和歌
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161028読んだ本

予想より多くポイント付与され気が大きくなり、つい無関係のアマゾンで高い買い物しちゃった(+_+)

【読んだ本】

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

柴田宵曲の「書物 乙篇」突入(^^) 例によって付箋を貼った箇所の中から特に気になった件をメモ(^^)
「愚書のために浪費する時間が惜しいといえばいえるようなものの、愚書の中に何者かを発見するのも
読書家の任務であろう。」「人間の力に限がある以上、書物に盛り得る事柄にも限度がなければならぬ。
書物の中に一切を求めようとするのは、それが人間の手に成ったことを忘れたものである。」「或書物
が大に行われたため、擬似的書名の相次いで生れることは、その[『吾輩は猫である』の後に『吾輩は
・・・』と名乗る書物が続いた]後においても珍しくないが、元祖を圧倒するだけの模倣者は竟に見当らぬ
ようである。」「書斎の乱雑は[子規]居士の無精と無頓著とから来ている。けれども絶えず書物を活用
する人の書斎は、雑然となるのが常態ではないかと思う。」「人の趣味なり個性なりは、玄関や客間
よりも最もよくその書斎に現れる。」「[他人によって]下手に書斎を整理されて迷惑するのは、どの
読書家でも殆ど同じ事であろう。」「書物はいつも書斎の机の前に坐って、端然として読むとは限らない
。大袈裟にいえば行住坐臥如何なる場合にも、これに伴うの概がある。・・・或意味からいえば書物は
喫煙家の煙草と同じく、ポケットになかるべからざるものであろう。」「[電車内]隣席の人の読んで
いるのを一瞥しただけで、直に何の書物かを判別し得た時などは、我ながらいささか愉快である。」
「どんな瑣細な事柄であるにしろ、慥[たしか]に発見は力ずくでは出来ない。一つの発見をするため
には多くの書物を読まなければならぬというよりも、多くの書物を読む者は往々その間に何物かを発見
するのである。」「書物は物を識るためにのみ読むべきものではない。読書の目的は物識になることに
あるのではない。しかし書物を読む者は自ら物を識り、多くの書物に目をさらす者は物識の域に入ること
になる。その間における幾多の小発見の如きも、またわれわれの読書心を鼓舞し、読書力を進める一種の
薬味のようなものであるかも知れぬ。」「われわれの記憶の底に沈澱していて、何かの機会に顏を出す
ものの多くは、学校以外において濫読した書物の断片である。」「書物を読む者は必ずしも大人君子
ばかりではない。殊に書物を好む者の中には、異常な愛著心を持合せている人があるから、貸借の間に
多少の間違なきを保しがたい。[白石の]門外不出という鉄則は、慥にこの間違を最小限度に食止める
方法である。」「珍書、稀覯書の類ならば、貸借者共に取扱いが慎重になる。最も気軽に貸借し得る
活字本に至っては、紛失する率が極めて多い。そういう書物を人に貸して、いまだかつて貸しなくした
ことがないとすれば、生れてから一度も銭を落したことがないと同じような、幸福な人であろう。」
「[以下は子規居士の意見の引用]本といふものは朝も晩も手を離さぬといふやうなのは少き者にて、
一年に一度用に立つとか二年に一度用に立つとかいふが多く候。しかし二年に一度でも三年に一度でも
用に立てばその時がその本の必要なる時に相違なく候処、丁度その時にその本が人に貸してあればその
本は自分のために何の用にも立たずに終り候。」「ただ見たとこ勝負で名乗りかけなければ、長蛇を
逸する虞のあることは、敵討も書物も同じである。今しがた見て通ったばかりの夜店の書物が、五、六間
歩いて戻る間に、買手がついていることがある。古書展などで見て歩く順序を異にしたため、年来欲し
がっていた書物を人に買われてしまったという話もある。・・・而してその機を逸したら、再び何処で
邂逅し得るか、誰にも見当がつかぬことは慥に敵討と同じである。」← 今日の買い物の正当化根拠^_^;

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

診察まで100分以上も待たされたけど、本を2冊持って行ったから、イライラすることはなかった^_^;
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161027読んだ本

「仮」を冠したのが沢山ある一方で「利用可能」とも表示されてて結局のとこ何ポイントあるのさ(@_@)

【読んだ本】

杉本苑子『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所蔵本

「浄光明寺―阿仏尼―」だが、同寺は「足利氏ゆかりの寺でもあ」り、尊氏が「出家を決意して一時、
浄光明寺に閉居」したこともあった(^^) 浄光明寺の裏山に冷泉為相の墓があるが、その母の阿仏尼の
奥城もあると言われているけど、そちらの方は「伝承にすぎ」ない由^_^; 御子左家が二条家(為氏)、
京極家(為教)、冷泉家(為相)の「三派に分裂」してしまった、その「争いの種を播いた阿仏尼を、
ですから鎌倉期の歌壇を搔き乱した尼将軍政子だと酷評する人もいるのですよ」と言う著者自身が、
〈「我が子さえよければ他人の子などどうなろうとかまわぬ」とする母性愛のエゴイスティックな本質
が、これほどあからさまに露呈した例は珍しい。〉と「酷評」^_^; その舌鋒は彼女に籠絡(?)された
為家にも及び、「もっとも和歌の才能は、祖父にも父にも及ばない。そのぶん官界遊泳術にたけていた
らしく、官位の進み具合は父の定家よりも、ぐんと早かった。」^_^;〈病いの床についた為家をみとりも
せずに、一条家で催された歌会に出かけ、あくる朝、けろりとした顏でもどって来た四条[=阿仏尼]
に、為氏の弟の源承(僧)あたり、/「ずぶとい女だ。じつに気にくわぬ」/と、てきびしい批判を
浴びせている。〉とか、「老いさらばえ、病状も篤くなった為家には、もはや正室[その父は幕府評定衆
の宇都宮頼綱だし、母は北条時政の娘]と愛人[阿仏尼]、その子らの反目軋轢を抑え込む力はない。
四条が折りをうかがってこっそり家伝の歌書類を持ち出し、北林の自分の住居へ運んでいるのにも
気づかなかった。俊成・定家の打ち立てた歌道に関する理論書は、和歌の家の家宝であり、家門の
正統性を裏づける根拠でもある。いちはやく、どさくさまぎれにこれを手中に収めてのけたのだから、
四条の目のつけどころは鋭い。」等といった話を読まされると納得せざるをえない^_^; これに対し、
〈阿仏尼は多くの評伝類で、わが子・為相のため、御子左家伝来の典籍を不当に隠匿したとの非難を
受けています。その根拠となっているのは、源承の著『和歌口伝』の「阿房(=阿仏尼)、前中納言
(=定家)自筆にしるしおきたりし折紙の目六を取りかくして、要書あまたかすめとどめてよろづの人
に見せ侍りし」との記述で、つづけて住吉神の罰により阿仏尼やその姉妹が次々と死んでしまったとも
あります。源承は為氏の同母弟で、裁判にも為氏側に立って参加した人ですから、その著作が阿仏尼への
誹謗に満ちているのも当然ですが、後世の人間までそれに乗るべきではないでしょう。〉と藤本孝一
「冷泉家のゴッドマザー 阿仏尼」は弁護(@_@) 一理あるも、その一文は「冷泉家 サバイバル800年」と
題した芸術新潮1997年9月号の特集中の「冷泉家、山あり谷あり800年史」の一部ゆえ冷泉家=阿仏尼側
に立ってるんでしょ?とツッコミが入るよ^_^; でも、続けて「一方で阿仏尼は、烈女として讃えられて
きました。これは明治時代、国定の女子修身教科書で、阿仏尼が賢妻賢母の鑑として取り上げられたこと
が大きいと思われます。」などなど色々と教わるところは多かったm(__)m ただ、著者が本書も含め再三
指摘してるように、阿仏尼は未曾有の国難(元寇)への対処に苦慮してる最中の幕府に訴え出たわけで、
TPО的に銃後の守りの在り方として如何なものかと思われそうだけど、(著者が学生時分の)戦時中の
教科書でも「賢妻賢母の鑑として取り上げられ」ていたのかしらね(..) なお、数日前、上記3家の争い
に関し、安東次男『百人一首』(新潮文庫,1976)巻頭の「百人一首のこと」を挙げるの忘れてた(+_+)

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

風邪ひいたか昨夜から咳(+_+) 鈴木雅子『冬の玉手箱』(集英社ヤングユーコミックス,1989)読む(^^)
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161026読んだ本

やりかねないと世間も思ってるので「ハルキストがボブディランを監禁してる」説がウケてるのか^_^;
萩尾望都にノーベル文学賞を授賞しても驚かんが( ̄^ ̄) 既に漫画は文学を凌駕してる気もするし^_^;
鷺沢萠(単行本は全て売ったけど、文庫本はまだ8冊も所蔵)の文学界新人賞受賞作「川べりの道」が
剽窃したとか影響を受けたとされてる、吉田秋生『河よりも長くゆるやかに』①②(小学館PFビッグ
コミックス,1984-85)を読めば、後者の方が優れてると思うからね^_^; それはさておき、昨夜届いた
萩尾の短篇集表題作を読みクライマックスで貰い泣きしそうに(;_;) イグアナの涙のシーンだけど^_^;
これは私小説のようなものと理解した上で読んでたためかもしれないけど(..) 他にも文学賞級の漫画が
あったはずと思い、本棚を見渡して目に留まったのが、山岸涼子全集の『アラベスク 第2部』全3巻
(角川書店あすかコミックス・スペシャル,1986)(^^) つい読み始めたけど、何回読んでも名作は名作
だなぁと感動(;_;) 『うにばーしてぃBOYS』は帯に「細野不二彦の初期傑作!!」とあったけれど、
個人的には「傑作」とは言い難いm(__)m 1987~88年のスピリッツ連載作品らしいが、野暮ったい(+_+)
同じように1980年代後半の大学生生活を描いた作品でも、同誌1986年6月9日号に掲載された読切作品の
萩多遊「石になってしまったっ!!」の方が画もストーリーも洗練されてる(^^) 単行本化を渇望m(__)m

【読んだ本】

杉本苑子『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所蔵本

マンガ脳化してて、「大雲寺―昌子内親王―」しか読めんかった(..) 大雲寺は「貴族の大邸宅を三つも
四つも併せたほどの、広大な寺域とおびただしい堂塔を擁する一大法域で」、「比叡山延暦寺に対抗して
一歩もひかぬ威勢を誇っていたという」(@_@;) 「城郭を思わせる堂々たる石垣の上に、十一面観世音
をまつる本堂、宝前の向拝に向かって右手に廻廊をめぐらした庫裏、さらにその先に国宝指定の吊鐘が
かかる鐘楼、本堂の左手には経蔵、向かい合って鬼子母神堂、新羅明神の祠など、建ち並んでいた幾つ
もの堂宇」などが今や「きれいさっぱり無くなって、ひろびろとした平地と化し、工事車の駐車場に
使われている」(゚ロ゚;)エェッ!? しかも、そうなった「事情」というのがねぇ(+_+) この大雲寺は光源氏が
若紫を見初めた寺のモデルらしいのにね(+_+) 紫式部の父方の伯父・為頼が仕えていた、昌子内親王に
よって同寺の講堂など建立された由(^^) 昌子内親王の陵も近くにあるが、「心を病んでいた冷泉帝」の
「后の墳墓の地に、精神病院が設立されている現実は、少しばかり奇異な感じがしなくもない。」^_^;
「桓武天皇は皇居をかこむ東西南北の山ぎわに岩石の倉を造って大乗の経典を納め、都の鎮護とされ」、
「字にすると岩蔵、石倉、石座など幾通りにも書くけれど、読みはすべてイワクラなのね。昌子内親王
の御陵の、さらに東どなりに、ほら、神社の屋根が見えるでしょう。当地の産土[うぶすな]、石座明神
をおまつりした石座神社ですよ」もメモ(^^) 「建武中興に力をつくしたけれど、失敗だらけの朝政に
失望・・・・・・。しばしば帝に諫言をこころみた。しかし聞き入れてもらえない。[万里小路]藤房はそれを
悲しんで岩倉に世を避け、大雲寺の僧坊に入って出家してしまった。」(;_;) 「近くに旧宅のある岩倉
具視も、この地に隠棲したとき、やはり失意のどん底に喘いでいた。」と(+_+) 昌子内親王のケースも
含めて、「岩倉というところは、こう見てくると〝失意の里〟と呼んでもよさそうである。」(;_;)

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

昨日はメチャクチャ寒かったのに、一転して今日は26℃もあって、本をじっくり読む気分になれず(+_+)
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161025読んだ本&買った本

予約していたガンダムUCのCDが届いたので読書タイムのBGМをクラッシャージョウから変更(^^)

【読んだ本】

杉本苑子『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所蔵本

「寿福寺―北条政子―」では、「寿福寺や英勝寺方面へ」の変わったルートを紹介してる(@_@) それは
「若宮大路を南下し、由比ケ浜通りを長谷観音の方角へすこし進むと、左に和田塚への道、右に六体、
石の地蔵さまが並ぶ四ツ角に出る。ここが六地蔵の辻である。/ちょっと手を合せ、拝を捧げて辻を
北へ曲れば、やがてしぜんに寿福寺の前にたどりつく」由^_^; この地蔵尊の由来を読んで、裁許橋や、
更に問注所があったことが1つの線で繋がった(@_@;) 寿福寺と言えば、栄西禅師で、お茶のことが
説明され、更に、政子と実朝の墓のことで、岸壁に穿たれた「やぐら」=「矢倉」に関する説明も(^^)
「政子が、頼家を殺してまで、それを阻止しようとした実家重視の態度は、我が子第一主義の核家族
時代を生きる現代女性には、理解しがたいところかもしれない。しかし結婚後も北条政子、平徳子、
藤原定子などと里方の姓を冠して呼ぶように、招請婚を原則とした時代、女という枝葉を茂らせる根は、
あくまで実家につながっていた。幹の実家が衰えれば、枝葉の女たちも枯れざるをえない。」由(^^)
続いて「随心院―小野小町―」も読んだ(^^) 洛東山科は平安朝の頃は皇族貴族の別荘が多く、狩り場
としても貴顕たちに愛された土地だが、古代豪族の小野氏の支配地もあったことから「何であれ小野と
さえ付けば、小町とドッキングさせてしまう日本人の、一種の〝小町信仰〟の現れの一つ」で、山科の
小野の里にも小町に関する「数多くの遺跡や物語り、伝説のたぐいが生み出された」^_^; んで、山科の
随心院も「小町の邸宅跡に建てられた」とされてる^_^; 随心院や小町(伝説)のことが説明されていて
興味深いんだけど、随心院にある「鯉の餌やりマシーン」の話の方が気になってしまう(@_@;) 「勾欄
ぎわに備えつけられた機械に十円入れると、池のほとりにある別の機械からジャラッと十円分の餌が
落ちる仕掛けである。」由(@_@) 「鯉のエサ十円」と書かれた立札の前でおばあさんが十円玉を次々と
池に投げ込んでいたという投稿を大昔に読んだ記憶が^_^; 小町をめぐる「これらの伝説は、ほとんど
根もない作り話と考えてよいと思う。」として、小町伝説が全国に分布していったメカニズムも説明(^^)

【買った本】

杉本苑子『檀林皇后私譜』下巻(中公文庫,1984)
細野不二彦『うにばーしてぃBOYS』(小学館文庫,2001)
萩尾望都『イグアナの娘』(小学館文庫,2002)
吉田秋生『櫻の園 完全版』(白泉社HC SPECIAL,2013)

全て新品だけど、細野のは初版第1刷(@_@;) 『檀林皇后私譜』は他店でも下巻だけ在庫があるから、
上巻買って読んでみたけど下巻はいいや、ということかと思ったら、2008年12刷m(__)m 『櫻の園』は、
読んだら、西炯子『STAY~ああ 今年の夏も何もなかったわ』を連想したけど、同様に感じた人が
存在するのをネットで確認^_^; 昨夜⑥巻からざっと読み直した後、『天の血脈⑧』を読んでみたけど、
ラストは『虹トロ』パターンかと思いきや、オチ(?)が^_^; いつもながらのユニークな着眼点に、
マニアックな登場人物たちによる大活劇なので面白かったけど、大風呂敷を広げ過ぎて畳めなくなった
毎度のパターンの嫌いも^_^; ストーリーがシンクロしてる『ヤマトタケル』第4巻は出ないのかな(..)

芸術新潮2016年11月号

ざっと見た限り、特集「小悪魔美女画マイスター クラーナハ」以外は特に興味深い記事は無かった(..)
巻末のTОNY&INОCCHI「マンガ展評 ちくちく美術部⑱」は今月もちゃんと〈批評〉してて、本誌の良心と言うべきか(^^) ピーターラビット展を観てないから、当たっているのかは不明だけど^_^;

ルパン全23話中視聴できたの結局13話(;_;) 寒い上に雨で眠気覚ましのコーヒー飲み過ぎ太田胃散(+_+)
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161024読んだ本&買った本

ヤフーさ~ん、「お買い物ごとに100ポイントキャンペーン」付与マダァー?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン

【読んだ本】

杉本苑子『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所蔵本

「常照寺―吉野太夫―」しか読めんかった(+_+) 京都の北西のはずれにある鷹ケ峯の地を幕府から下賜
されたのが本阿弥光悦で、「一族一門、配下の工匠たちを多数ひきつれてここに移り住んだ。」由(^^)
彼は「日蓮宗の篤信者でもあったから、自宅を大虚庵と名づけ、かたわらに法華題目堂を建て」、歿後、
このお堂が寺となり、「ユニークな臥牛垣で知られる光悦寺の、前身」とされる(^^) 「さらに光悦は、
日蓮宗のより一層の興隆を願って、鷹ケ峯の地に、学侶のための学校を設立した。これが光悦寺の斜め
向かい側――同じ路上に面した寂光山常照寺だ。」(^^) そこに「吉野門」という別名もある門があり、
常照寺は「吉野太夫にゆかりの深い浄域」とのこと(^^) この有名な名妓は二代目吉野太夫のことだが、
「当然、逸話も多い。初代吉野、三代目吉野と混同されているかもしれないけれど、二代目がとりわけ
傑出していたため、話のすべてが彼女に結びついたともいえる。」^_^; 紹介されてる逸話には定家自筆
小倉色紙の「山中の色紙」を贈られた話も(^^) 森銑三『偉人暦』下(中公文庫,1996)「八月二十五日
中江藤樹 吉野」の「[近松茂矩の]『昔咄』には、吉野懐胎中に、興に乗って蹴鞠をし、誤って転んだ
のがもとで半産をし、その悩みで死んだと書いている。蹴鞠がもとでというのが、吉野の死因として
ふさわしいような感じもする。」に、う~ん^_^; 「吉野太夫」で検索すると、画像が・・・う~ん^_^;

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

【買った本】

安彦良和『天の血脈⑧』(講談社アフタヌーンKC,2016)

先週金曜発売も入荷してないので取り寄せ頼んだら、今日受け取れた(^^) 既巻より分厚いと思ったら、
完結したっぽい(..) 連載フォローしてなかったから話が全く分からず、数巻前から読み直さないと^_^;

四時半に起きたので出掛ける前から眠いし、今は喉が痛い(+_+) 電車から見える古本屋が潰れてた(;_;)
タグ:歴史 紀行 列伝
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161023読んだ本&買った本

ブックオフで何気に手に取りざっと読んでアホくさっと戻した漫画が今季アニメ化されてた(゚ロ゚;)エェッ!?

【読んだ本】

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

和泉式部女(小式部内侍)の「大江山 いくのの道の遠ければ、まだふみもみず。天の橋立」の「伝承」
で紹介されていた、蜀山人の「大江山いくのの道の遠ければ酒呑童子のいびき聞えず」には笑った(^^)
「うらみわび 乾さぬ袖だにあるものを。恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」の相模の「伝承」には「江戸
では、お隣りの相模が有力な下女の供給地で、しかも相模下女は好色者の典型とされていた。」とあり、
へぇ~って感じ(@_@) 似たような下ネタを、杉本苑子『影の系譜~豊臣家崩壊』(文春文庫,1984)も
大政所に語らせてた^_^; 「嵐吹く 三室の山の紅葉ばは、竜田の川の 錦なりけり」の能因法師に関し、
その「伝承」において「川柳子の像には、歌人は居ながらにして名勝を知った能因が出来上っていて、
/わらぢ食ひまでは能因気がつかず/御紀行拝見に能因は当惑し/と、散々だが、家集で見ても、東国
へ行ったことは嘘ではない。能因が、どうして、行かなかった旅人、ということになって、世間の像が
できていったのか、興味があるところだ。」とする(^^) 石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)
も、「奥州に旅行したまねをして」詠んだ歌があると『古今著聞集』に書かれているが「家集によると
奥州に下ったことは事実である。」としてるし、百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)
も、当該歌に関し「歌を実感の詠にみせかけようとして、能因が家にひきこもり、奥州に下向したとの
風聞をたてさせたという逸話」を『袋草紙』で藤原清輔は紹介した後、実際に下向した事実を指摘して
いる由^_^; 百目鬼は「『和歌文学大辞典』(明治書院)によると、その足跡を印した地は二十一ヵ国に
およぶといい、この時代にこれほど旅行をした歌人は稀であろう。漂泊の詩人の代表のようにいわれる
西行でさえこれほど旅行はしていない。」と評してるから、たしかに「興味があるところだ」(@_@;)
「夕されば、門田の稲葉おとづれて、あしのまろ屋に、秋風ぞ吹く」の源経信の「伝承」で、「源経信
が出てくると、百人一首の作者の世界も、だいぶ撰者定家の時代に近くなってくる。そして、次第に
歌壇の派閥が、人選の上に反映してくる。」として、経信―俊頼―俊恵と「三代にわたって作者である
のは、百人一首ではこの三人だけである。」こと、また定家の父・俊成の師である基俊と俊頼とは「仲
が悪かった」ことを紹介し、「一方、定家の御子左家と烈しい争いをしたのが、同じ藤原の六条家だが、
この歌学に名のある六条藤家も」顕輔と清輔「だけしか百人一首に選ばれてはいないのである。」とし、
「経信から終りまでの三十首は、歌壇派閥のこうした家系に位置づける必要があると思う。」と結論^_^;
どれもよく知られている話だし、こういう捉え方も理解はできるけど、どうなのかしら(..) そもそも
六条源家と御子左家のことを述べた上記件は何を言いたいのか理解不能(+_+) だが、その藤原基俊の歌
「契りおきしさせもが露を 命にて、あはれ 今年の秋もいぬめり」の「伝承」で、その意味するところ
が明らかに(@_@) 曰く「子のために願った栄達が得られなかったときの父親の歎きだが、どうも上の句は
歌学者らしいぎくしゃく調で、百人一首ではとてもお付き合いしきれない。定家も、父俊成の師という
ことで、やむなく基俊の歌を入れたのだろう。定家の基俊への評価は低かったと言われている。」とし、
義理で入首したとするわけだ^_^; だけど、石田は「定家は源実朝に歌の手本として贈った『近代秀歌』
(流布本)の中に、この歌をあげているのであり、この百人一首にもとっているのであるから、よほど
この歌をよい歌と見ていることがわかる。秋草のようなしめやかな艶、あくまで柔軟で自由な言葉づかい
や姿、きめの細かい曲折の多いもみもみとした韻律、さすがに天才歌人俊頼と相対して譲らなかった、
老手基俊のこくのあるうまみが感じられる。」と評価しているから、もしも石田が本書を読んでいたら、
(待賢門院堀河の入首歌への戸田茂睡の酷評に対し言い放った)「見当ちがいもはなはだしい。彼はこの
ような歌の美を解し得なかったものと見える。」と一蹴してたかもな^_^; 本書の巻頭の一文「百人一首
への誘い」で、「参考になった著述」の一つとして島津忠夫訳注『百人一首』(角川文庫,1969初版)を
著者は挙げてて、初版とは異なるかもしれないけど、同書の新版16版&改版22版の〈・・・『遣送本近代
秀歌』にあげた六人の歌人のうちでも、「大納言経信卿、俊頼朝臣、左京大夫顕輔卿、清輔朝臣、近くは
亡父卿、すなはち此の道をならひ侍りける基俊と申しける人」と最後にあげ、それも俊成の師であった
という点に重点をおいて付記した形であり、歌も誰よりも少なく、二首しかあげていないのである。〉
という件が著者の拠り所なんだろうね^_^; でも、結局、この歌を「あげてい」たということは、この
歌については定家も評価してたわけで、「父俊成の師ということで、やむなく基俊の歌を入れた」わけ
ではないのでは^_^; ド素人が言うのも失礼なんだけど、本書を読む限り、百人一首の歌や歌人に対する
著者の識見には疑わしいものがあるから(+_+) 「うかりける人を 初瀬の山おろし 烈しかれとは 祈らぬ
ものを」の源俊頼の「伝承」でも、諏訪の「風の祝[はふり]」の神事を歌に詠みたいと相談してきた
藤原資基に対して詠んではいけないと答えておきながら、俊頼がパクって詠んだという「有名な話」を
紹介し、俊頼は「腹黒い人物だったのかもしれない。」との評に爆笑^_^; 百目鬼によれば、この話は
『袋草紙』に出てて〈清輔は「尤モ腹黒キ事歟」と評しているけれど、ここまで貪欲にしなければ歌壇
にのしあがれなかった俊頼の辛さも汲んでやらなければなるまい。〉(^^) 俊頼がパクった逸話を紹介
しながら、ソレに対する評言を紹介者自身がパクってるんだから、もう本書は〈お笑い百人一首〉^_^;

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

【買った本】

杉本苑子『二条院ノ讃岐』(中公文庫,1985)

遠崎史朗(原作)中島徳博(作画)『アストロ球団③ビクトリー球団〈死の特訓〉編』(太田出版,1999)

またМX映らなくなった(+_+) 明日のルパン最終話は録画できない(;_;) 視たい話だけ映らない謎(-"-)
タグ:古典 和歌
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161022読んだ本

どうすれば原田知世みたいにスティックカフェオレを渦巻くように淹れられるのか(..) CМ上の演出?

【読んだ本】

杉本苑子『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所蔵本

「清閑寺―小督局―」は謡曲『田村』に出てくる寺で「歌の中山」と冠される由来も説明(^^)〝観光寺〟
ではない清閑寺は、六条天皇の清閑寺陵や高倉天皇の後清閑寺陵が近くて、清閑寺の参道が楓ばかりで
あったことから、平家物語の「高倉帝の情ぶかさをものがたる」楓の佳話が紹介され、更に「藤原信西
の、娘とも孫ともいわれている」小督局の供養塔もあるので、高倉帝の寵愛を受けた小督の話になる(^^)
清盛を恐れて身を隠してしまった小督のことを諦めきれず、高倉帝は源仲国にその行方を探させたわけ
だが、八月十五夜、仲秋の名月に・・・これまた月岡芳年『月百姿』の「嵯峨野の月」の画題だわな(^^)
結局は清盛によって悲恋に終わっちゃうけどね(;_;) 「安楽寺―鈴虫と松虫―」は、「哲学の小径」や
「関雪ざくら」の話から「指定の日しか参観できない」安楽寺の話に^_^; 「住蓮山安楽寺」の寺号の
もととなった住蓮坊と安楽坊という2人の僧の唱える六時礼賛の声明に魅かれ、専修念仏の法門に帰依
して、剃髪得度し尼となった鈴虫と松虫(^^) 後鳥羽院の寵姫で無断で出家したものだから、後鳥羽が
激怒し「専修念仏、全面停止」の院宣が発せられた「建永の法難」を説明(@_@;) 最後に毎年7月の
「中風まじない鹿ケ谷カボチャ供養」を紹介し、「もっともこのカボチャ、味はいまいち・・・・・・。
形の珍しさを賞でて、丸ごと飾り物にする人が多いそうな。」と〆てるとこが、この訪問記の凄さ^_^;

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

個人の嗜好の問題だが「ネスレ ブライト キャラメルラテ用5P」はハズレ(+_+) 3箱も買っちった(;_;)
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