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161013読んだ本

「コールドケース」が好評を博したのは、何よりキャスリン・モリスだったから、と思うんだけど・・・

【読んだ本】

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

森銑三パート「書物 甲篇」を読了したので、付箋を貼った中から気になる件を続けてメモっておく(^^)
「校正はむつかしい問題である。それを気にし出したら際限がないが、そうかといって、幾ら誤植の
ない本を作って見たところで、愚書凡書は依然として愚書凡書である。」「書物には誤植がある上に、
原稿の誤書があり、文字の誤用がある。その上に内容の誤謬まで数えたら、大抵の書物は誤に充ち満ち
ていることになる。」「西鶴を読むのに、『言海』は少しも役に立たぬことをその時知った。」「国史
方面には、明治以降相当に学者を出しているにもかかわらず、一般国民の教養のために読むべき親しみ
のある国史の書物は何もない。」「しかしもし私が絶海の孤島へ流されでもするとしたら、僅かに持参
する書物の内に、『源氏』だけはどうでも加えるであろう。この書が一部あるならば、私は決して退屈
はしないだろうと思っている。」「・・・書物の顕晦には量るべからざるものがあって、意外の珍物に
やすやすと巡合うかと思うと、それほどでもないものに、容易に行当らなかったりする。」「この本は
先年巌松堂の目録に見出して、雨の中を早速買いに行ったら、もう売れてしまっていた。私はがっかり
してしまったが、さような本に注意している人が、どこかにあるということが嬉しくもあった。それに
してもいち早くその本を買って、私に失望を嘗めさせるのは何人だったろうか。私はその人の名を知り
たいと思う。」「私は今でも高く積上げられていたその美しい合本を思出す。あの本が何人かに買われ
て、現在も無事にいてくれたなら、それは嬉しいことであろう。」「博文館は雑誌を通して、文化の普及
に努めてくれたということが出来る。」「[博文館の「独擅場だった」]その雑誌界に、日露戦争後の
新気運に乗じて実業之日本社が浮び出して、・・・博文館の雑誌は圧されるに至った。然るにそれも
束の間で、時代が大正に入ると講談社が勃興して、これはその講談の語が現しているように、努めて
あくどく、野暮ったく、程度の低い人々に迎合をこれ事として、ついに一の雑誌王国を形造って、一時
全国を風靡した。目覚しいといえば目覚ましいかも知れないが、講談社の雑誌は、雑誌界の水準を低め
こそすれ、何らわが国の文化を高める仕事などはしていない。旧い雑誌を見直すことに興味を持つと
いったけれども、私は今さら講談社の雑誌まで見返そうという勇気はない。」「宇宙間に存在する書物
は無数に近い。私等が一生涯を読書に費すとしても、読み得る書物の量は高が知れている。全体から
見れば、それは大海の一滴たるに過ぎないであろう。どのような書物の博覧家があるとしても、未見の
書物は無数に存するわけである。強いて多くを貪ろうというは愚かな話である。」「見られぬ書物も、
思いがけない時に、突如として出現してくれたりする。どうしても見られぬものならばあきらめるより
外はない。そのために徒らに苦慮するのは愚かしいことかも知れないが、あきらめかけた頃になって、
意外の辺からそれが現れる。私等はその出て来てくれる日を気永に待っているべきである。」「一口に
書物を読むといっても、いろいろな場合があるわけであるが、私自身の場合を考えて見ると、さように
画然とは区別せられない。そしてただ読みたいから読む。書物が好きだから読むというだけの漫然たる
読方をしている場合が多いようである。」「大きな問題と四つに取組んだような力作の続々と刊行せら
れるのも、わが国の文運のために慶賀すべきであるが、その一方には、明るくて、軽くて、肩の凝らぬ、
万人共に親しみの持たれる、そしてまたあまりに多くの時間を費さずに通読せられる好著が欲しい。」
「あまり世間からも注目せられずにいて、そのためにかえって落ちついて、念の入ったものを書いて
いられる人がまだまだあるのであろう。私はそうした人を知りたい。そしてそうした人の著書を知りたい
と思っている。」「宋の黄庭堅が士大夫の家に読書の種子を断絶せしむべからずといっているのが、
いかにもとうなずかれる。よし書巻に親しむ機会は少くなくとも、人間に書巻の気だけはありたい。・・・
せめて書巻の話を聴こうとする人、書物のことを話題に上すことの出来る人、そうした人を実社会の
上層にある人々の内にも見たいと思う。新刊書の売行がよいということは慶賀すべき現象としてよかろう
が、それにしては書巻の気を有する人がどの方面にも少過ぎる。・・・全体的に書物を読む人々が殖えて
来ているにもせよ、私等としては、書物そのものに特別の趣味と愛着とを有する人が存外少いのではない
かとも思われる。書物に親しむことが楽しいのと同時に、書物に親しんでいる人と語るのもまた楽しい
ことであるが、その書物に親しんでいる人というが容易には得がたいのだから淋しい。」「[大町桂月
が『伯爵後藤象二郎』を出版した際の宴で]その時の翁の挨拶に、これまで本屋の雇人かのようにこき
使われて来たが、・・・[この]桂月翁の言葉は、明治大正時代の著述家と書肆との関係を語っている
ものとして、記憶せられてもよいかも知れない。」「なお[本書]旧版発行当時と現在とは、出版界の
情勢の変化を来していることどもも多く、今ならばかようには書かないと思う箇所もないではないが、
・・・」「最後に私の繰返して主張して置きたいと思うのは、書物愛護の精神の徹底である。・・・そして
その大人に、書物愛護の精神を欠いている人ばかり多いのだから始末が悪い。/書物愛護の精神を
徹底せしめるのには、一般図書もまたあまりに粗悪なものにせずに、贅沢にせよというのでは勿論ない
が、自然に鄭重に取扱いたくなるような書物が作られるようにしたいものである。廉価本ばかりが横行
しているのは、書物そのもののためにも決して喜ぶべき現象ではない。書物愛護の精神を徹底せしめる
と共に、一方では十分に愛護するに足る、あるいは愛護せずにはいられない、やはり内容外観共に見る
べき書物のつぎつぎ作り出されるようにしたい。」(^^) 〈書巻の気を有する人が少なくて淋しい〉と
いう件から連想したのが、唐の太宗(^^) 国中から蒐集した王羲之らの書の真贋を一緒に鑑定していた、
虞世南に続いて、欧陽詢まで亡くなってしまい、「ともに書を論じる者を失って、淋しくてならぬ」と
嘆かれた由(;_;) でも、名臣・魏徴が「褚遂良がおります」と進言するや、ハッと気づいて、ただちに
褚遂良を宮中に召し出したという有名な逸話だ(^^) それにしても、初唐の三大家の一人をつかまえて、
聖武天皇の書の方が上だ、と言い放つんだから、いやはや(@_@;) ここにも分をわきまえない人(+_+)

永井路子『美貌の女帝』(文春文庫,2012新装版)所蔵本

伊藤整ほか編集『日本現代文學全集 86 石坂洋次郎・石川達三集』(講談社,1980増補改訂版)

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

やらなきゃいけないことが次々増えたせいかエンジンかからず(+_+) 入荷連絡あるも気分じゃない(;_;)
タグ:出版 書道 書物
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