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161027読んだ本

「仮」を冠したのが沢山ある一方で「利用可能」とも表示されてて結局のとこ何ポイントあるのさ(@_@)

【読んだ本】

杉本苑子『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)所蔵本

「浄光明寺―阿仏尼―」だが、同寺は「足利氏ゆかりの寺でもあ」り、尊氏が「出家を決意して一時、
浄光明寺に閉居」したこともあった(^^) 浄光明寺の裏山に冷泉為相の墓があるが、その母の阿仏尼の
奥城もあると言われているけど、そちらの方は「伝承にすぎ」ない由^_^; 御子左家が二条家(為氏)、
京極家(為教)、冷泉家(為相)の「三派に分裂」してしまった、その「争いの種を播いた阿仏尼を、
ですから鎌倉期の歌壇を搔き乱した尼将軍政子だと酷評する人もいるのですよ」と言う著者自身が、
〈「我が子さえよければ他人の子などどうなろうとかまわぬ」とする母性愛のエゴイスティックな本質
が、これほどあからさまに露呈した例は珍しい。〉と「酷評」^_^; その舌鋒は彼女に籠絡(?)された
為家にも及び、「もっとも和歌の才能は、祖父にも父にも及ばない。そのぶん官界遊泳術にたけていた
らしく、官位の進み具合は父の定家よりも、ぐんと早かった。」^_^;〈病いの床についた為家をみとりも
せずに、一条家で催された歌会に出かけ、あくる朝、けろりとした顏でもどって来た四条[=阿仏尼]
に、為氏の弟の源承(僧)あたり、/「ずぶとい女だ。じつに気にくわぬ」/と、てきびしい批判を
浴びせている。〉とか、「老いさらばえ、病状も篤くなった為家には、もはや正室[その父は幕府評定衆
の宇都宮頼綱だし、母は北条時政の娘]と愛人[阿仏尼]、その子らの反目軋轢を抑え込む力はない。
四条が折りをうかがってこっそり家伝の歌書類を持ち出し、北林の自分の住居へ運んでいるのにも
気づかなかった。俊成・定家の打ち立てた歌道に関する理論書は、和歌の家の家宝であり、家門の
正統性を裏づける根拠でもある。いちはやく、どさくさまぎれにこれを手中に収めてのけたのだから、
四条の目のつけどころは鋭い。」等といった話を読まされると納得せざるをえない^_^; これに対し、
〈阿仏尼は多くの評伝類で、わが子・為相のため、御子左家伝来の典籍を不当に隠匿したとの非難を
受けています。その根拠となっているのは、源承の著『和歌口伝』の「阿房(=阿仏尼)、前中納言
(=定家)自筆にしるしおきたりし折紙の目六を取りかくして、要書あまたかすめとどめてよろづの人
に見せ侍りし」との記述で、つづけて住吉神の罰により阿仏尼やその姉妹が次々と死んでしまったとも
あります。源承は為氏の同母弟で、裁判にも為氏側に立って参加した人ですから、その著作が阿仏尼への
誹謗に満ちているのも当然ですが、後世の人間までそれに乗るべきではないでしょう。〉と藤本孝一
「冷泉家のゴッドマザー 阿仏尼」は弁護(@_@) 一理あるも、その一文は「冷泉家 サバイバル800年」と
題した芸術新潮1997年9月号の特集中の「冷泉家、山あり谷あり800年史」の一部ゆえ冷泉家=阿仏尼側
に立ってるんでしょ?とツッコミが入るよ^_^; でも、続けて「一方で阿仏尼は、烈女として讃えられて
きました。これは明治時代、国定の女子修身教科書で、阿仏尼が賢妻賢母の鑑として取り上げられたこと
が大きいと思われます。」などなど色々と教わるところは多かったm(__)m ただ、著者が本書も含め再三
指摘してるように、阿仏尼は未曾有の国難(元寇)への対処に苦慮してる最中の幕府に訴え出たわけで、
TPО的に銃後の守りの在り方として如何なものかと思われそうだけど、(著者が学生時分の)戦時中の
教科書でも「賢妻賢母の鑑として取り上げられ」ていたのかしらね(..) なお、数日前、上記3家の争い
に関し、安東次男『百人一首』(新潮文庫,1976)巻頭の「百人一首のこと」を挙げるの忘れてた(+_+)

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

風邪ひいたか昨夜から咳(+_+) 鈴木雅子『冬の玉手箱』(集英社ヤングユーコミックス,1989)読む(^^)