So-net無料ブログ作成
検索選択

161028読んだ本

予想より多くポイント付与され気が大きくなり、つい無関係のアマゾンで高い買い物しちゃった(+_+)

【読んだ本】

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)所蔵本

柴田宵曲の「書物 乙篇」突入(^^) 例によって付箋を貼った箇所の中から特に気になった件をメモ(^^)
「愚書のために浪費する時間が惜しいといえばいえるようなものの、愚書の中に何者かを発見するのも
読書家の任務であろう。」「人間の力に限がある以上、書物に盛り得る事柄にも限度がなければならぬ。
書物の中に一切を求めようとするのは、それが人間の手に成ったことを忘れたものである。」「或書物
が大に行われたため、擬似的書名の相次いで生れることは、その[『吾輩は猫である』の後に『吾輩は
・・・』と名乗る書物が続いた]後においても珍しくないが、元祖を圧倒するだけの模倣者は竟に見当らぬ
ようである。」「書斎の乱雑は[子規]居士の無精と無頓著とから来ている。けれども絶えず書物を活用
する人の書斎は、雑然となるのが常態ではないかと思う。」「人の趣味なり個性なりは、玄関や客間
よりも最もよくその書斎に現れる。」「[他人によって]下手に書斎を整理されて迷惑するのは、どの
読書家でも殆ど同じ事であろう。」「書物はいつも書斎の机の前に坐って、端然として読むとは限らない
。大袈裟にいえば行住坐臥如何なる場合にも、これに伴うの概がある。・・・或意味からいえば書物は
喫煙家の煙草と同じく、ポケットになかるべからざるものであろう。」「[電車内]隣席の人の読んで
いるのを一瞥しただけで、直に何の書物かを判別し得た時などは、我ながらいささか愉快である。」
「どんな瑣細な事柄であるにしろ、慥[たしか]に発見は力ずくでは出来ない。一つの発見をするため
には多くの書物を読まなければならぬというよりも、多くの書物を読む者は往々その間に何物かを発見
するのである。」「書物は物を識るためにのみ読むべきものではない。読書の目的は物識になることに
あるのではない。しかし書物を読む者は自ら物を識り、多くの書物に目をさらす者は物識の域に入ること
になる。その間における幾多の小発見の如きも、またわれわれの読書心を鼓舞し、読書力を進める一種の
薬味のようなものであるかも知れぬ。」「われわれの記憶の底に沈澱していて、何かの機会に顏を出す
ものの多くは、学校以外において濫読した書物の断片である。」「書物を読む者は必ずしも大人君子
ばかりではない。殊に書物を好む者の中には、異常な愛著心を持合せている人があるから、貸借の間に
多少の間違なきを保しがたい。[白石の]門外不出という鉄則は、慥にこの間違を最小限度に食止める
方法である。」「珍書、稀覯書の類ならば、貸借者共に取扱いが慎重になる。最も気軽に貸借し得る
活字本に至っては、紛失する率が極めて多い。そういう書物を人に貸して、いまだかつて貸しなくした
ことがないとすれば、生れてから一度も銭を落したことがないと同じような、幸福な人であろう。」
「[以下は子規居士の意見の引用]本といふものは朝も晩も手を離さぬといふやうなのは少き者にて、
一年に一度用に立つとか二年に一度用に立つとかいふが多く候。しかし二年に一度でも三年に一度でも
用に立てばその時がその本の必要なる時に相違なく候処、丁度その時にその本が人に貸してあればその
本は自分のために何の用にも立たずに終り候。」「ただ見たとこ勝負で名乗りかけなければ、長蛇を
逸する虞のあることは、敵討も書物も同じである。今しがた見て通ったばかりの夜店の書物が、五、六間
歩いて戻る間に、買手がついていることがある。古書展などで見て歩く順序を異にしたため、年来欲し
がっていた書物を人に買われてしまったという話もある。・・・而してその機を逸したら、再び何処で
邂逅し得るか、誰にも見当がつかぬことは慥に敵討と同じである。」← 今日の買い物の正当化根拠^_^;

池田弥三郎『光源氏の一生』(講談社現代新書,1964)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

診察まで100分以上も待たされたけど、本を2冊持って行ったから、イライラすることはなかった^_^;
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: