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170221読んだ本

最近のきわめて個人的な実感としては「早起きは三文の徳」ならぬ「早起きは3ポイントも得」^_^;
でも、この一週間は寝付きが悪くて(『新唐詩選続篇』を読んでて寝落ちも)寝不足がツラい(+_+)
一晩に嫌な夢3連発で夜中に3回も目が覚めた日まであった(+_+) せめて夢見が良いといいのに(..)

【読んだ本】

片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』(笠間書院,1999)所蔵本

「ゆめぢ【夢路】」の項は、〈現実に逢えない男女が、あるいは現実に逢ってもなお逢いたい男女が
「夢で逢いたい」とよむ発想は、すでに『万葉集』からあったが、〉云々と解説は始まるが、〈なお、
「住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひ路人目避くらむ」(古今集・恋二・敏行、百人一首)の
「夢の通ひぢ[ママ]」は「夢路」をくわしく言ったもの、・・・〉とある(^^) 更に興味深いのは、
〈ところで、「夢路」という歌語は、『古今集』で五例、『後撰集』で八例と数多くよまれたが、
その後は急に減少して、『拾遺集』ナシ、『後拾遺集』一例、『金葉集』ナシ、『詞花集』一例、
『千載集』ナシ、『新古今集』三例というようにほとんど用いられなくなってゆくのであるが、
『新古今集』の場合は・・・のように「夢」とほとんど変わらぬ意で用いられ、夢の中で人に逢う
通路の意はなくなっているのである。〉という件(@_@) 新古今集の藤原有家の秀歌「夢通ふ道さへ
絶えぬ呉竹の伏見の里の雪の下折れ」の「夢通ふ道」から「夢の通ひ路」を連想するなど同歌を恋歌
と強引に解釈する古文講師の誤りを先月指摘したけど、その恋愛脳的解釈には無理があることの傍証
たりうるでしょ、この解説は(^^)v 現に本書は「くれたけの【呉竹の】」の項で同歌を挙げ、脚注で
「人の通う道が絶えた上に夢の通う道までも絶えた。伏見の里の雪の下折れのために。」と訳す(^^)
ここで終れば完璧なんだが、「したをれ【下折】」の項の脚注で、「夢の中で、思う人のもとに通う
道まで絶えてしまった。伏して夢を見るという名をもつ伏見の里の呉竹が雪で下折れする音で。」と
訳してた(゚ロ゚;)エェッ!? 本書は分担執筆による共著ではなく、片桐洋一による単独執筆のはずなのに
記述が一貫してないじゃん(-"-) 『原文&現代語訳シリーズ 古今和歌集』(笠間書院,2005)も脚注
の解説が現代語訳に反映してないとこあったし、どうやら片桐洋一の辞書には一貫性とか体系性など
といった文字はないみたい^_^; 百人秀歌と百人一首の関係でも改説したらしいしね^_^; 勿論、改説
自体は悪いことではないですm(__)m それに本書のような内容の濃い辞典(事典?)をたった独りで
書き上げたことに対し敬意を払うべきで、執筆者の頭の体力、精神の持久力を云々するより、編集者
のチェック機能を問題視すべきか(@_@) ここだけの話、笠間書院の出版物は事実関係のミス多い(;_;)
なお、窪田空穂『完本新古今和歌集評釈』上(東京堂出版,1964)も、「語釈」で〈「夢通ふ道」は、
夢になって思う人のもとへ通う道で、夢路という。〉として「評」で「雪のあわれに、恋のあわれを
持ち込んで、いわゆる艶を添えようとする」云々としてた(゚ロ゚;) 「筆者は和歌文芸としては万葉集を
愛好していたが、古今・新古今集はそれほどには思っていなかった。」と「序」で告白してるぐらい
万葉集大好き万葉脳だから、オールドファッションであることに気付かなかったのかもねと邪推^_^;
他の新古今集入集歌でも「万葉集の風に近いものである。」との理由で評価が高かったりもする^_^;

松浦友久『詩語の諸相~唐詩ノート』(研文出版,1981)

竹田裕子『一〇〇万回言っても、言い足りないけど ジャーナリスト竹田圭吾を見送って』(新潮社,2016)

ミルクレアクレームブリュレ満ち足りず(..) 温経湯は切れたがシモヤケ快方に(^^) 春が近いのか(^^)
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