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170308読んだ本

ガンダムSEEDを視てて思うのはいくらHDリマスター版といっても元の作画が酷けりゃ・・・(;_;)
SEEDを駄作と言うつもりは毛頭ないが、屑本と小生が貶してる本も客観的ミスなど一部だけ訂正
したところで所詮は弥縫策にすぎず、屑本は屑本でしかないわけさ(+_+) モチ過ちては即ち改むるに
憚ること勿れで正すこと自体は結構なんだけど正誤表を付けた等といった話も寡聞にして知らぬ(-"-)
屑本のお蔭で色々調べて勉強になったとむしろ感謝するぐらい人間が出来てくればブログも卒業か^_^;

【読んだ本】

百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)所蔵本

某屑本について「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」用駄文に取り掛かり、ささくれ立ってる
せいか、何とはなしに拾い読みしたら、心に沁みるものが(;_;) 右衛門督通具の「石上布留野の桜
たれ植ゑて春は忘れぬ形見なるらむ」で、その〈歌の大意は「石上の布留野の桜は、だれが植えて、
春ごとに花を咲かせてその人を思い出す形見になっているのだろう」くらいか。〉とあり、以前に
読んだ時は特に何も思わなかった次の件に感じ入った(^^) 〈この歌は、遍昭の「いそのかみふるの
山辺の桜花うゑけむときを知る人ぞなき」(『後撰集』)を本歌とする。本歌は、「大和の布留の山
をまかるとて」と詞書にあるように、布留からよそに移るときに詠んだあいさつの歌で、「布留の
山辺の桜を植えたときを知っている人がいないように、時がたてば、私がここにいたことを知って
いる人もいなくなってしまうものですね」というほどの意味だろう。通具の歌は、それをうけて
「だれだったか知る人はいなくなっても、春ごとに花を咲かせる桜を自分の形見に植えた、人の心の
やさしさはこの通り残っているではないか」と答えてみせるのである。〉__φ( ̄^ ̄ )メモメモ この後、
本歌取りが新古今時代の歌人の得意技であること、この歌は「なお本歌と同じ古今調を残している
ところに特色がある。」と続くが、パクリというより昔の歌人との対話になっている本歌取りは好い、
としみじみ思う(^^) 久保田淳『新潮日本古典集成 新古今和歌集』上(新潮社,1979)は「・・・本歌
が布留社の歴史の古さに感嘆しているのに対して、古人の風雅な心をしのんだ歌・・・」と註してて、
本歌の詞書が活かされてないね(+_+) 百目鬼の「文人気質」(同『風の文庫談義』[文藝春秋,1991]
巻末に収録の丸谷才一「著者を惜しむ」)のなせる業なんだろうけど小生は好きだなぁ(^^) なのに
「誰かって? 植木屋さんだよ」と物識り顔に語るのは歌心を解さぬ輩ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!
昔この歌をめぐり「古今集と新古今集との優劣」が論点になりかけた話は、久保田淳『新古今和歌集
全注釈 一』(角川学芸出版,2011)や窪田空穂『完本新古今和歌集評釈』上(東京堂出版,1964)(^^)

司馬遼太郎『風神の門』(春陽文庫,1996新装版)所蔵本

竹田裕子『一〇〇万回言っても、言い足りないけど ジャーナリスト竹田圭吾を見送って』(新潮社,2016)

リフォーム工事中に配線をちょっと引っ張った事実は認めていて第三者の専門家(NTTの業者さん)
も断線の原因をソレと診断・認定してくれたから実家固定電話不通修理費用負担問題は円満解決(^^)
やりたいことありすぎるレベッカと違って、小生はやるべきことありすぎて死にたいくらいなり(;_;)
タグ:古典 和歌