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170715読んだ本

この話を面白くするんだったら、やはり同性愛(百合)のネタで引っ張るべきなのかしらね^_^;

【読んだ本】

久保田淳『新潮日本古典集成 新古今和歌集』上(新潮社,1979)所蔵本

承前m(__)m 杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(二)』(講談社学術文庫,1979)の「蘇武」の章の
一節が気になる^_^; それは〈田にいくらもありける鴈ども、蘇武に見なれて、おそれざりければ、
これはみな我古郷へかよふものぞかしと、なつかしさに、思ふ事を一筆に書いて、/「相かまへて
是漢王に奉れ」/と云ひふくめ、鴈の翅にむすび付けてぞはなちける。かひがひしくもたのむ鴈、
秋は必ず越地より都へ来るものなれば、漢昭帝、上林苑に御遊ありしに、夕ざれの空薄ぐもり、
何となう物哀れなりけるをりふし、一行の鴈とびわたる。〉(繰り返し記号の部分は書き変えた)
という一節で、その〈現代語訳〉は〈田の面[も]に数多くおりていた雁は、蘇武を見馴れて、
恐れなかったので、これはみなわが故郷に通う鳥かと、なつかしく、望郷の思いを一筆書いて、/
「心にかけて、きっとこれを漢王にさし上げよ」/と言いふくめ、雁の翼に結びつけて放した。
田の面の雁は、頼み甲斐あって、秋には北国からかならず都へ飛びわたるものである。漢の昭帝が、
上林苑で宴遊なさっていた折、夕暮の空は薄ぐもりでなんとなく物哀れに感じておられたとき、
一列の雁が飛びわたって来た。〉(@_@) その〈解説〉も「『漢書』李陵蘇武伝をもとに構成された
説話であるが、直接それに依った叙述ではなく、改変されたものである。」としているとはいえ、
蘇武は手紙を「雁の翼に結びつけ」たのではなく雁の足に結びつけたとフツー紹介されてるはずで、
『漢書』に直接当たるのが王道だけど、みどりん読書メモリーに珍しくピビピッと来るものがあり、
別の本を手に取った^_^; 例によって、百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)だが、
記憶通り、紫式部の回で紹介されてた歌がビンゴ(^^) その歌は「北へ行く 雁のつばさに 言伝てよ
雲の上書き かき絶えずして」で、「わたしがこれから行く北国の方へ飛んでゆく雁の翼に、あなた
のお便りを託してくださいな。消息文の上書きを書き絶やすことなく。」が、本書の現代語訳(^^)
父・藤原為時の任国の越前へ旅立つことになってた紫式部が親しい女友達に対して詠んだ歌だけど、
その女友達との付き合いに関して、久保田淳『新古今和歌集全注釈 三』(角川学芸出版,2011)は
「いささかセンチな少女趣味に類するし、やや同性愛的に傾向が絶無とはいえない。」と評してて、
百目鬼も「だから、とうに少女趣味の時期は終わっていたはずで、これはどうも同性愛的な傾向と
いわなければなるまい。」と断じてる^_^; それはさておき、久保田の同書によると、「旧注は、
この歌の作意を必ずしも十分に捉えてきたとはいえない。」とし、代表的な注釈書数冊を取り上げ、
「やはり紫式部自身が北国へ行くことには言及していない。」と指摘してたわ(゚o゚;) 南波浩校注
『紫式部集 付 大弐三位集・藤原惟規集』(岩波文庫,1973)だと、同歌の次に返歌が載っていて、
返歌の中に越前にある山の名や地名が詠まれてることを指摘し、「返歌中に式部の行く先の地名を
詠い込んだのも、エチケットである。」と脚注にある(..) かく言う小生も基本的なことを調べず、
蕪村の句を見当違いに解してたので、「追記」したけどさ^_^; ちなみに、久保田の同書や同訳注
『新古今和歌集』上(角川ソフィア文庫,2007)も「紫式部自身が北国へ行くこと」が反映してない
訳だったから、本書の訳をチョイスした次第^_^; さて、ここで気になる記述を見付けちったよ(..)
同歌に関し、石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂出版,1960)は「蘇武が雁の翅に文を附けて
送った故事によったもの。」と「註」に、窪田空穂『完本新古今和歌集評釈』中(東京堂出版,1964)
も「中国の古代の蘇武が、雁の翅に文をつけて贈った故事によるもの。」と「語釈」に記してた(..)
飛ぶのに支障ありそうだし、飛行中に落ちちゃいそうだから、翼(翅)は有り得ないと思うんだが、
やはり『漢書』を確認すべきなのかしら^_^; でも、もっと瑣末なことが新たに気になり始めた(..)

更新せず広告が出るようになって「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」のランキング上昇中^_^;
タグ:古典 和歌
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