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171105読んだ本&買った本

「最新の研究成果に基づく詳細な注釈」と版元のHPにあり、たしか毎日出版文化賞の授賞理由に
注が素晴しいことも挙げられていたと記憶するし、編者には藤原定家に関する著作もある(゚ロ゚;)ウソォ!?

【読んだ本】

五味文彦&本郷和人(編)『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』(吉川弘文館,2010)

坂本太郎『史書を読む』(中公文庫,1987→3版1992)の再読は「平家物語」「吾妻鏡」「元亨釈書」
「増鏡」「太平記」まで済んだ(^^) へぇ~連発だけど、「吾妻鏡」からメモっておく(^^) 源実朝が
公暁に殺された承久元年(1219)正月、「『吾妻鏡』は、それに予兆のあったことを記していう。」
として、吾妻鏡から引かれている一節の中に「・・・次に庭の梅を覧て、禁忌の和歌を詠じ給ふ。
出テイナバ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ我ヲ忘ルナ・・・」だと(゚o゚;) この歌を見て、あれ!?と
思ったかもね、以前から拙ブログをお読みの方は(._+ )☆ヾ( ̄ヘ ̄; )居るのか? 年末に取り上げた
式子内親王「ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな」(新古今集の歌番号52)と
そっくり(^。^;) 偶々機会があって、本書を披いてみたら、上記引用文は「二十七日」に載っていて、
源実朝の歌は「出[いで]テイナバ主[ぬし]ナキ宿[やど]ト成[なり]ヌトモ 軒端[のきば]
ノ梅ヨ春ヲワスルナ」とあるが(本書79頁)、同歌に付された「注71」は〈菅原道真の「東風吹かば
にほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」(『拾遺集』巻一六、雑春)などを本歌とする。〉
(本書207頁)だとぉ(゚ロ゚;) 中西進『辞世のことば』(中公新書,1986)も「全体、有名な・・・
という菅原道真左遷の折の歌に似ている・・・」としてるけど、この3首を次の如く並べてみれば、

      東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(菅原道真)
      ながめつる けふは昔に なりぬとも 軒端の梅は われを忘るな(式子内親王)
      出ていなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな(源実朝)

一目瞭然だな^_^; 「主」が菅原道真のは「あるじ」だが源実朝のは「ぬし」という違いもあるし
(和歌は声に出して詠むもの)、源実朝が詠んだ際、式子内親王の同歌が念頭にあったはず(^。^;)
本書は「最新の研究成果に基づく詳細な注釈」が売り物になっているのに、式子内親王の同歌を
まさか本書の編者や訳注者たちは御存知なかっ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;お前は偶々知ってただけだろ!
式子内親王の同歌は菅原道真の同歌ほど「有名」じゃないからかな(+_+) 可哀相すぎるぞ(;_;)
式子内親王の同歌は菅原道真の同歌を参考にしたのかもと新古今集の各注釈書は指摘しているし、
本書は賢明にも「など」としてるから(でも、一つしか挙げてないのは他の歌を思い付かない?)、
本書の記述に問題は無さそうにみえるけど、「本歌とする」としてるのはチトおかしいだろ(@_@)
源実朝が和歌の指導を受けていた藤原定家が「本歌取り」の準則について説いてるぞ(^^) 例えば、
橋本不美男&有吉保&藤平春男(校注・訳)『新編日本古典文学全集87 歌論集』(小学館,2002)
巻末「歌論用語」の「本歌取」の項によれば、「②本歌と同心(本歌と同じ風情・着想)、同題
(本歌と同じ主題)になることを避けるために、たとえば、春の歌 → 秋の歌、恋の歌 → 雑の歌
というように変化させることが望ましいこと、・・・」という準則もあり、コレ一つとってみても
源実朝のは菅原道真のと同様に春(雑)の歌で梅を詠んでて同心・同題なので準則違反の歌となり、
「本歌取り」とは言えず、「菅原道真の・・・などを本歌とする。」と記す本書の注は間違い(-"-)
本歌取りを藤原定家の歌論書で調べずに「本歌とする」などと断ずるなヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!
また、wikiの「源実朝」に〈庭の梅を見て詠んだ辞世となる和歌は、「出でいなば 主なき宿と 成ぬ
とも 軒端の梅よ 春をわするな」で、『吾妻鑑』から「禁忌の和歌」と評された。しかし、この歌は
『吾妻鑑』以外には『六代勝事記』にしか見えず、菅原道真の「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな」に類似する。これらの点から、実朝は梅の歌をしばしば読むのを知っていた
『六代勝事記』の作者が、歌人としての実朝を悼み、急速に右大臣になった実朝と道真を重ね合わせて
代作し、『六代勝事記』を原史料として用いた『吾妻鑑』が惨劇の予兆としてあえて取り込んだ歌と
する説もある。〉とあるね(゚o゚;) その説を唱えたとされている坂井孝一『源実朝~「東国王権」を
夢見た将軍』(講談社選書メチエ,2014)は未読なんだけど、「急速に右大臣になった」ことよりも、
むしろ源実朝が当該歌を詠んだ直後に暗殺されてしまったことと、式子内親王も同歌を詠んだ翌年に
薨去されたことの方が「重ね合わせ」易いんじゃないか(^_^;) たしかに、藤原定家が源実朝のために
執筆した歌論書『近代秀歌』で「次に、現代の歌界でいっしょに歌を詠んでいる人たち、たとい故人
であっても、その人々の最近に詠んだ歌については、ほんの一句でも、これは現代歌人のあの人が
詠んだあの歌の詞句だとわかるようなことは、必ず避けたいと存じております。」(藤平春男訳)と
本歌取りの準則の一つを説いてるのに、「故人」となって間もない式子内親王、しかも「ほんの一句」
どころか詞句の半分以上が同一で(それゆえ、藤原定家の本歌取りの準則の一つに違反してる可能性
が高い)、同時代人にはパクったことが絶対バレバレの歌を、源実朝が詠んだとは思えないよ(^_^;)
ただし、中西進は「誰にかも昔をとはむ故郷の軒端の梅は春をこそ知れ」が金槐和歌集にと指摘(^^)

【買った本】

ネルソン・デミル『スペンサーヴィル』上(文春文庫,2000)

作品名を間違えて先日は下巻を買ってしまったけど、210円「良い」をポイント使って137円で(^^)

楽天のセールにおいて、いつ、どのショップで、何を、何冊買うかで昨夜から悩んでいる(..)
タグ:歴史 和歌
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