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180116読んだ本

漢字タトゥーを身体に入れてる外国人いるけど、その漢字の意味も調べず、見た感じがクールと思って
やってるのかしら(@_@;) カッコいい字体とも思えないけど美意識は文化によって違うからね(´・_・`)

【読んだ本】

村山吉廣(訳編)『中国笑話集』(社会思想社現代教養文庫,1972)所蔵本

漢字タトゥーを笑う人は日本の書道も笑うべきで、本書によれば、日本の書家は「無学」だしね^_^;
「宦官」という題が付けられた風刺譚を、村山吉廣のコメントも交えつつ誤植も訂正して要約すると
・・・地方の長官となった宦官が任地で学生の実力を試そうと、「後生可畏焉」という題で文を作れ
と命じた(゚ロ゚;) コレは論語の「後生可畏、焉知来者之不如今世」(後生畏るべし、焉んぞ、来者の
今世に如かざるを知らんや)に基づく句だが、「・・・宦官は無学なため文の切り方をまちがって、
第二句のはじめにある焉(いずくんぞ)の字を第一句に附し・・・」てしまったのだ∑( ̄ロ ̄|||)ナント!?
学生達が笑い出したので傍らの教官が気を利かせて「題が難しいようなので一字減らして頂けたら」
と申し出ると、然もありなんと宦官は「では、一字とって、『生可畏焉』としたらよかろう」w(゚o゚)w
「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」で指摘したけど、松本清張「書道教授」で主人公が書道を
習う場面に〈手本としている「蘭亭序」も「長咸集此地有」とすすんだ。〉とある(@_@) 「蘭亭序」の
「・・・羣賢畢至少長咸集此地有崇山峻領茂林脩竹・・・」からとったもので、駒田信二『中国書人伝』
(芸術新聞社,1985)の読み下し文は「群賢畢く至り、少長咸集う。此の地、崇山峻領(嶺)にして、
茂林脩竹あり。」で「少長咸集」は〈老若みな集った〉意なのに「少」を削るのはおかしいだろ(-_-)
この蘭亭曲水の宴には、王献之ら王羲之の息子達も参加してたのに、老人会になっちゃうじゃんか^_^;
石川九楊『現代の作家100人の字』(新潮文庫,1998)は「書道教授」を取り上げ、その書道関連部分に
ついて厳しく評しながら、「長咸集此地有」には触れてない(@_@) となると、日本の書道では臨書対象
となる古典作品はその文意を無視して好き勝手に切り刻んでも構わないようだヒィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 河合克敏
『とめはねっ!~鈴里高校書道部』(小学館,2007)第一巻に「九成宮醴泉銘」を臨書した「終以文徳
懐遠人東越青丘南踰丹儌皆」という作品も登場する(@_@) その作品自体は書家(望月俊邦)に依頼して
書いてもらったもので、作中では鎌倉市主催の市民書道大会で優秀作に選ばれてるが、駒田・前掲書の
読み下し文によれば、「終に文徳を以て遠人を懐かしむ。東は青丘を越え、南は丹儌を踰え、皆・・・」
であり、「皆」は次の文の冒頭だから、コレは、まさに「無学なため文の切り方をまちがって・・・」
しまった典型例((;゚Д゚)ヒィィィ! 「慶応義塾大学文学部史学科東洋史学科専攻卒」でも「無学」(゚ロ゚;)
意味なんかどーでもよくて、見た目さえイケてれば良いとゆーのは、漢字タトゥーと同じじゃん(^_^;)
とまれ、本書の風刺譚と滑稽譚、更に非常に有益な内容だった「解説」も読み終えて本書も読了(^^)v

予報で言われてるほど温かくなかった(+_+) 我慢できず最後のワンピースを超高いけど注文(-ω-、)
タグ:小説 中国 書道
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180115読んだ本(18禁)

TVから笑点のメロディーが流れてくると、もう日曜も終りかぁと悲しい気持ちになる(´;ω;`)ウッ…
そして月曜は電車も遅れがちな気がする(´・ω・`) 振替休日や祝日も多くなったはずだけど、最近は
休みにしてくれない(-ω-、) 月曜を休みの日に設定しても、公共図書館が休館日だからなぁ(´・_・`)
人に先んじて間違いを探して指摘したい人は別だけど辞書辞典の第一刷を購入するのは愚行かと(^_^;)

【読んだ本(18禁)】

村山吉廣(訳編)『中国笑話集』(社会思想社現代教養文庫,1972)所蔵本

駒田信二『女は強く男も強い物語』(徳間文庫,1981)は各回に「入話」(まくら)があり、たいてい
中国の代表的な笑話集である『笑府』や江戸小咄などから、エロチックで笑える話を紹介してたので、
本書のことを思い出して、読み始めてみたよ^_^; 〈・・・この「笑府」を中心に、その周辺の笑話集
の中から、中国民族の生活と文学とを知るに役立つと考えられる話を選択した。〉という本書だけど、
「・・・わが国の江戸小咄や落語は中国笑話から大きな影響を受けている。多くの人によく知られて
いて、純粋の江戸小咄かと信じられていたものが、実は中国種[だね]であったと[本書を読めば]
わかるような例が少なくないはずである。」と「まえがき」にある(゚o゚;) 拙ブログも日本の各説話の
中国からの伝播可能性に(宗像教授ばりに)着目してきたわけだし、本書も読む価値がありそう(^^)
収録した笑話を村山吉廣は愚人譚、吝嗇譚、好色譚、腐儒譚、風刺譚、滑稽譚に独自分類し、愚人譚、
吝嗇譚、好色譚、腐儒譚を読み終えた(^^) 好きなのは「昼寝」(題も村山吉廣が独自に付けている)
という腐儒譚で、ある先生が「夢の中で周公に出会ったぞ」と言うと、弟子が真似して、翌日、自分も
周公の夢を見たと言い出したのさ^_^; 先生が怒って「周公がお前などに出会うはずがない」と叱ると、
弟子はたしかにお会いしたと言い張るので、先生が「では、周公は何と言っておられたか?」と訊くと、
弟子の答えは「周公は、昨日、先生にお会いになっていないと言っておられました」といった内容^_^;
孔子が「夢に周公を見ず」と嘆いたという『論語』の話を踏まえてると村山吉廣はコメントしてる(^^)
好色譚は別にエロくなく、くだらねぇ~と苦笑するような話ばかりで、中でも吹き出して笑ったのが、
次の話(要約した)で18禁だぉ(^o^)丿 遺骸が野ざらしになってるのを哀れに思い埋めてやると、夜、
戸を叩かれ、誰かと問うと、「妃[ヒ]でございます」(@_@;) 「妾[わらわ]は楊貴妃で、殺され、
むくろを野原にさらしておりましたところ、あなた様に埋葬して頂きまして、お礼に夜伽を致します」
と( ̄ロ ̄|||) 一部始終を見てた隣の男は羨ましく思い、探し回った末、ようやく別の遺骸を発見して
埋葬してやったところ、その夜に戸を叩く音(^_^;) 誰かと問うと「ヒじゃ」(@_@) 「楊貴妃かい?」
「俺は張飛よ」(゚ロ゚;)エェッ!? 「張将軍にはなにゆえの御来駕でありましょうか?」と恐る恐る訊くと、
「拙者は殺されてのち、骨は野にさらされたままであった。幸いにも貴殿に埋葬して頂き、感謝に堪え
ない次第、そこでその礼までに粗末であるが、尻を献じようとて参った」ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 村山吉廣が
題を「野ざらし」としたのは落語の「野ざらし」の原話ゆえか、「妃」と「飛」は現代中国語でも同音
などとコメント^_^; 2人の殺害場所は実は距離も、むくつけき張飛をチョイスした意外性が巧いね^_^;

寒さで手が悴んでてボタンをとめられなくて電車1本乗り遅れてしまったよ(+_+)
タグ:小説 中国
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180114読んだ本

だから、ヒヨドリさんは嫌われるなりよ(-ω-、) ご近所さんの野鳥用餌台に用意されてるフルーツを、
先客の小鳥さん達を追い払って、独占しちゃうんだから(ノ_-;)ハア… でも、ヒヨドリさん大好き(^_^;)
煩いぐらい啼くのもいいし、ハトさんより体型スマートだし^_^; てゆーか、鳥さんはみんな好き(^^)

【読んだ本】

海音寺潮五郎、杉本苑子ほか(細谷正充編)『傑作時代小説 九州戦国志』(PHP文庫,2008)所蔵本

白石一郎「さいごの一人」を読んだが、それなりの面白さはあった(..) 名将・高橋紹運(立花宗茂の
実父)が僅か763人で島津の5万もの大軍を岩屋城に14日間も釘づけにし最後は全員討死・落城した話
だけど、細谷正充「解説」は「しかし、本当にそうだったのか。作者は、金に釣られて岩屋城に来た
雑兵の市蔵を通じて、見事な籠城に疑義をはさみ込む。自分の欲望に忠実な市蔵は、武士の道を称揚
する紹運と、それに乗せられていく周囲のムードをうさん臭く感じて、城から逃げ出そうとするのだ。
/市蔵の感じた、うさん臭さの正体は何か。それは全体主義であろう。選択肢がひとつしかない恐怖。
そのような状況に誰も疑問を抱かないことへの恐怖が、この物語から伝わってくるのだ。」と評(@_@)
まるで市蔵が自由主義者みたいな書き振りだが、作中での性的「欲望に忠実な」行動はどーなん(..)
「全体主義」(山本七平『「空気」の研究』[文春文庫,1983]の「空気」の方がまだ適切)云々は、
こーゆーつまらない人って、いるよねぇ、と笑うしかない^_^; 豊臣秀吉が立花宗茂を従四位下侍従に
叙任しようとしたら、旧主・大友義統がまだ五位なので願わくば五位でと宗茂が答えたので、神妙な
志であると秀吉も褒めた話が名将言行録にある由(海音寺潮五郎『新名将言行録』[河出文庫,2009]
にも出てる)(^^) 海音寺潮五郎「立花一族」同『武将列伝 江戸篇』(文春文庫,2008)所収は、同
逸話を紹介し、「こういう篤実さを、ぼくは尊いものに思う。」と高評した後、西郷隆盛もまた維新
の勲功で正三位に叙するとのお沙汰があるも、藩主の島津忠義が従三位なのでと辞退し続けた逸話も
紹介して、次の如く記した(^^) 「もう故人になった人だが、明治政治史専攻の学者が、これを西郷
の封建性のためと論断しているが、ぼくにはそう思えない。これは西郷の誠実さのあらわれであると
思うのだ。当時は藩制度はなくなっていない。島津忠義は藩主であり、西郷隆盛は藩士なのだ。藩士
が藩主より上位ということがあろうか。これは政治思想の問題でなく道徳の問題である。」とね(^^)
篤実さ、誠実さといった人徳の美しさを解せぬ馬鹿もおり、腐女子を釣りたいらしい林真理子の大河
ドラマ原作本などは衆道による辞退と解してるかも(@_@) しつこいようだけど、小生は海音寺潮五郎
ファンだが、西郷隆盛は興味がなく好きな人物ではない^_^; とまれ、細谷正充は、「立花一族」で
岩屋城での高橋紹運を「称揚」していた海音寺潮五郎すら「全体主義」者と言うつもりかしら(゚ロ゚;)
戦中は軍部に刃向かい、戦後も占領軍の検閲に筆を曲げなかった海音寺潮五郎なのにヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

年賀ハガキの当せん番号決定か(@_@;)

タグ:小説 歴史
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180113読んだ本

いつも書斎と門扉の間で咲いてるのは「アブチロン」_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 他人様のブログを毎回チェック
してて、やっと名前が判ったんだけど、忘れそうだから、やっぱメモしておく(^_^;) GACKT様みたいな
お肉博士は無理でも、いつかお花博士になれるかしら、と夢見る元名古屋嬢・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;シツコイ!!

【読んだ本】

杉本苑子『西国巡拝記』(中公文庫,1980)所蔵本

西国三十三ヵ所の「第七番 岡寺」を読んだわけだが、岡寺の新HPのアドレスが「okadera3307」^_^;
例によって、中大兄皇子と大海人皇子と額田王の三角関係に始まり、斉明天皇、草壁皇子と持統天皇
など関連する(?)歴史の話の披露はいいけど、「板蓋の宮の跡は、中大兄、大海人兄弟の母、斉明
女帝が、壮大な宮殿をいとなんだ旧跡――。彼女は欽明帝のきさきだが、夫帝の死後、帝位につき、
・・・/・・・欽明帝が亡くなったときは、・・・」だとさ(+_+) 「舒明帝」の誤植だねぇと最初は
思ったけど、2度も出てくると流石に呆れる(@_@;) 「ご詠歌というものは、歌調も発想も類型的で、
巧みに詠みながしながらすこしも胸を打って来ないのはふしぎだが、/[岡寺の]・・・/の一首には
実感が持てた。」由^_^; 小生好みの話では、「本堂の前には小さな池がある。当山の開基義淵僧正が、
農地を荒らす悪竜を法力で封じこめた場所で、蓋がわりにのせられている阿字石をうごかすと、旱魃
のさい雨が降ると附近の農民はいまも信じている。竜蓋寺の本称はこの伝説からはじまったものだ。」
とあり、この義淵僧正の「門下には行基、玄昉、良弁、道鏡など、奈良朝から平安初期にかけて活躍
した俊才を、かず多く輩出している。」とか(゚o゚;) 道鏡も一時この岡寺に止住していたらしい(^_^;)

「だがしかし2」は尾張ハジメさん登場回から録画するぞ(^o^)丿 それまでにユニコーン終了希望^_^;
タグ:宗教 紀行
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180112読んだ本

松岡修造は日本に居ないの?というレヴェルじゃねーぞ、朝7時過ぎにマイナス6度はヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
といっても、AccuWeatherで表示された地元駅前の気温だからなぁ^_^; AccuWeatherの天気予報はピン
ポイントだから便利だけど全く降ってないのに「雨は××分後に止む見込みです」と表示されるし^_^;

【読んだ本】

駒田信二『女は強く男も強い物語』(徳間文庫,1981)所蔵本

本書の後半の「雲の下のはなし(『痴婆子伝』より)」が読み終わり、本書も読了だけど、2018年の
栄えある1冊目がコレかよ(-ω-、) 本書の前半の「雲の上のはなし(『如意君伝』より)」、および
本書のスタイル(「本話」の前に「入話」が置かれる「白話」=口語の短篇小説に倣ってること)に
ついては、「171128読んだ本」で既に詳述したので略(^^) 「さて『痴婆子伝』は、ある老女が自分の
過去を物語るという形で書かれた、好色な女の一代記である。」けど、「これは明代に書かれた文言
[=漢文]の小説で、西鶴がその好色一代女の粉本[ふんぽん]にしたといわれている物語である。」
と本文にはある(^^) ところが、「文庫版あとがき」には「この書は西鶴がその『好色一代女』の粉本
にした小説の一つとみなしてよかろう。しかしわが国の国文学界ではこの説は認められていないよう
である。」として、岩波書店の日本古典文学大系『西鶴集』上に収録されてる『好色一代女』の解説
を紹介した上で、「『痴婆子伝』が全く無視されていることが、私には不思議であり不可解である。」
とする(@_@;) 日本の国文学者が中国文学者の著作を視野に入れてないこと、その知的怠慢ぶりは
拙ブログでも例証してきたところだから、別に「不思議」でも「不可解」でもないやねC= (-。- ) フゥー
んなことより、この「雲の下のはなし(『痴婆子伝』より)」だけどさ、つまんなかったよ(ノ_-;)ハア…
各回の「入話」(=まくら)で豆知識を得たぐらい(..) 例えば、遊里の言葉で「げん」とは坊さんを
指すけど、それは彼らが遊里に出入りする際に、医者を装って、玄庵とか玄斎といった医者らしい名も
使っていたからだとか、みどりんの読書生活には全く役にも立ちそうもないことばかりだった(´・_・`)

信じてもらえないだろうけど、みどりん、純金だし数年前まで縦ロールの名古屋嬢だったの(-ω-、)
タグ:小説 中国
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180111読んだ本&買った本

名古屋市の東山動物園の猿の名前が「ムコドノ」とか「ジエイタイ」とか命名者のセンスが凄い(^_^;)
ムコドノは動物園から逃げ出したことがあるというし、ジエイタイは日本猿のボスだったらしい(^_^;)
もし名古屋が首都だったら日本はどうなってたかしら(@_@;) 大阪が首都だったら物価が安かった(..)

【読んだ本】

杉本苑子『西国巡拝記』(中公文庫,1980)所蔵本

本のブログ読んでたら、大河ドラマ原作本が酷いという趣旨の内容で、ネタバレになるから書かない
けど、ある人物と主人公との関係についての設定は、海音寺潮五郎が生きてたら、林真理子のことを
日本刀でぶった斬っただろうね(..) あんなのを採用したNHKに対しては鹿児島県民が受信料支払拒否
運動を始めてもいいレヴェル(+_+) 念のため言うと、小生は西郷隆盛のことが好きなわけではない^_^;
さてさて、「第六番 壺坂寺」を読んだけど、同じような内容なので、「161105読んだ本」に杉本苑子
『女人古寺巡礼』(講談社文庫,1996)の「壺阪寺―お里と沢市―」を読んで書いた件を再録する^_^;

「壺阪寺―お里と沢市―」は、「正しくは、壺阪山法華寺」で「西国三十三番霊場の第六番札所」(^^)
「豊沢団平の妻お千賀によって、明治のはじめに作られた浄瑠璃『壺阪霊験記』」の〝お里・沢市ゆかり
の寺〟として知られる(;_;) 熱海のお宮の松と同様に、〝お里・沢市投身の谷〟という「立札」がある
のは御愛嬌だけど^_^; この浄瑠璃以前に「桓武天皇がここの本尊に祈って眼疾を治されたという伝説が
あり、眼とのかかわりも奈良時代までさかのぼれる。」という「眼病平癒の寺」(^^) 巨大な「観音の
おみ足の下に息づく庭園には、〝匂いの花園〟という床しい名がつけられている。匂い・・・・・・。
つまり視覚で花の色や形を鑑賞できない障害者に香りを楽しんでもらう目的から、この花園は企画され、
丹精こめて手入れされてもいるわけであった。」(゚ロ゚;)スゴッ! 「盲人のための特殊公園は、世界中さが
してもニューヨークのブルックリン植物園と、ここ壺阪寺の匂いの花園だけだそうですよ」(^^)「盲老
救済のために始められた養護施設・慈母園」も併設しているというから、マジで頭が下がりますm(__)m

壺坂寺のHPを確認すると、本書も同書も情報が古くなっているようだけどさ、それはさておき、この
『西国巡拝記』で現代の寺院の在り方を辛辣に批判していた杉本苑子も、壺坂寺を「おとずれてみて、
しかし私は恥じ入った。」と書いてた^_^; 以上の実践を見聞きすれば当然だけど、更に〈壮年血気の
[壺坂寺の住職]常盤師の口から、/「釈尊がどんなにりっぱでも、その教えを実践、弘通すべき
われわれ僧侶がわるければ、釈尊の精神は消えてしまいます。仏の心、仏のことばを殺しているのは
誰でもない、坊主自身ですよ。伽藍仏教の時代は去りました。美術的に、どれほど価値のある仏像を
擁し、千年の古刹にそり反っていても〝魂〟が無ければ見せものにすぎません。」/のごとき、烈々
たる批判が吐かれるのも道理と思えた。〉とあったしねヒィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 『大法輪』、よく載せたな^_^;

【買った本】

角田喜久雄『黒潮鬼』(春陽文庫,1988改装)

957円と高め^_^; アマゾンには「昭和63年改装初版・カバ少使用感・本紙ヤケ・経年のヤケシミ」と
あったが、注文直後に出品者からメールが届き、送付先の住所等の確認とともに、〈「掲載していた」
商品状態のコメントを、今一度、「必ず」お確かめ下さい。/コンディション説明: 昭和63年改装初版
・カバヤケ隅スレ使用感・本紙ヤケ・経年のヤケシミ/コメントにも書いていましたように、スレ、
ヤケ、シミなど使用感があるようです。/状態を、ご確認お願いします。〉とあって、少し驚く(゚ロ゚;)
「コンディションの御説明が掲載されていたものより詳しくなってますね。」と一言添えて送付先等は
問題ないので、発送をお願いしたら、「はい、どうしても倉庫で管理している間に、経年のヤケシミ
などが進んでしまいますので・・・なにとぞ、ご了承ください。」とレス^_^; んで、届いたわけだが、
なにわのブラックダイヤモンド橋本梨菜かよ!?と声に出してしまったほど、天・小口・地がこんがりと
ヤケてる一方で、表紙カヴァーは説明と異なり新品のようにキレイだった^_^; 難点は割れが生じてて、
最終頁(といっても、春陽文庫の既刊目録の頁)が取れかかっていて、実際すぐ取れてしまった点(..)
説明に無かった点なので、一応お知らせしたところ、返品してくれれば送料込みで返金するというレス
があったが、そーゆーつもりではなかったし、既に評価(非常に良い)もした後なので、落着かな^_^;

先ずは不要な本を捨てて今春こそ部屋を片付けなきゃ^_^; もうテストの答案とか棄てていいよね^_^;
タグ:宗教 紀行
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180110読んだ本

「お買い物マラソン」じゃなくて「お買い物駅伝」にしてほしいよ(´・_・`) 独りで買いまわりなんて、
本しか買わないんだから、無理なり(-ω-、) ウチのクリローは「クリスマスローズの土」というのを
使ってるみたいだから、毎年あんなに満開になるのかなぁ(^_^;) でも、片方だけなのが謎だ(@_@;)
「からかい上手の高木さん」視聴すべきか(´・ω・`) ブックオフ1割引券、3枚も使い切れるかな(@_@)

【読んだ本】

海音寺潮五郎、杉本苑子ほか(細谷正充編)『傑作時代小説 九州戦国志』(PHP文庫,2008)所蔵本

拙ブログ訪問者によくある誤解が、本を数多く読んでると早合点されることと(「180110」は日付)、
本を薦めてると勘違いされること^_^; 勘違いされぬよう「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」
というブログ名で始めたし、そこから分家した拙ブログは「読んだ本」を毎日記録しているだけ^_^;
そもそも趣味・嗜好が偏っているから、他人様をも満足させられるような本なんか読んでねーし^_^;
だけど、 今日読んだ本書所収の滝口康彦「与四郎涙雨」は他人に薦められるかも(^_^;) 一時は九州
を制覇しそうな勢いだった肥前の竜造寺隆信が一気に没落する契機となった沖田畷の戦いが主舞台の
作品で、読めば「かならずや深い感動と悲哀を覚えることだろう。」(細谷正充「解説」)ね(^_^;)
クライマックスの「指が三本まで」云々は何かで読んだ気もするんだけど、とにかく読ませるわ(^^)
滝口康彦は知ってたし、『乱離の風~若き日の立花宗茂』(文藝春秋,1981)を借りて読んだ気も^_^;

秋から諦観モードとはいえ年明けから流石に気落ちしてたのでマジ生き返った感じ、コレは独り言^_^;
タグ:小説 歴史
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180109読んだ本

クリスマスローズに蕾が、と教えられた(^^) でも、書斎の前から持ってかれちゃった鉢だから(-ω-、)
毎日せっせと水遣りしてたことを怒られたし(;_;) ここ数日テンション低めなんで、他人様のブログで
植物、動物、風景その他の御写真をいつも以上にじっくり眺めさせてもらうこどで癒されてる(´・_・`)
昨日の中野京子の本に関する記事に今日何度も「追記」したためお騒がせしてたらごめんなさいm(__)m
湯タンポを入れた後、その上の掛布団の間に寝間着を挟んで温めておいて、ヒートショックを防止(^^)

【読んだ本】

杉本苑子『西国巡拝記』(中公文庫,1980)所蔵本

「第五番 葛井寺」で日本史のテストしま~す(^o^)丿 正解は最後に書くから間違いを見付けてね(^^)

   兼家は五歳の幼天皇の後見におさまって、朝権を壟断し出すことになるわけであるが、
   蔵人道兼は、このときの自分の功績をよほど慢じていたとみえ、後日、/「花山院をば、
   われこそは、すかしおろし奉りたれ」/と平気で口にしているし、賞として正三位中納言に
   経[へ]あがったのにまだ飽きたらず、関白を望み、長徳元年にはとうとう父にせがんで
   目的を達したが、まもなく急死してしまったので、世間の口は〝七日関白〟と、かげで
   彼をあざ笑った。

そもそも「葛井」の読み方も出題できたな^_^; 「ふじい」と読むと本書にあり、この寺の古い呼称は
紫雲山金剛琳寺で、藤井寺とも書く由(゚o゚;) 槇尾寺から向かう途中の道明寺も含めると、薄田隼人正、
菅原道真の伯母覚寿尼、堯覚上人、聖武天皇、稽文会・稽首勲父子、葛井一族、堀河天皇、藤井安基、
在原業平、楠正成、後醍醐帝、後村上帝、楠正行、細川顕氏などといった葛井寺に関係ある人名が出て
きて、それらはヨリ広く深い知識・情報への取っ掛かりとなるので、個人的には有難い(^^) 今までの
各篇と違い、今回は少し長く、この後に花山天皇のことが詳述されてた(^^) 各篇の最後には当該寺の
所在地や宗派といった情報とともに、和歌が1首記されているんだけど、それが花山天皇による御詠歌
であることも今回明らかにされた(^^) 初めは杉本苑子が詠んだのかと勘違いしたことはナイショ^_^;
「第一番 青岸渡寺」に「・・・花山天皇が霊場をめぐったのが[西国三十三ヵ所の]始まりであるとも
言われている。」とある(^^) 花山天皇の頃には鸚鵡が飼われてたとは(゚o゚;) 兼家・道兼父子によって
出家・退位させられた後、花山院は荒れて奇行を重ねるけど、「むしろ、若くして人の心のうらおもて、
醜くさ、酷薄さを知らしめられ、国王から一転、乞食[こつじき]の境涯に落ちたという得がたい体験
は、法皇をしてしんじつ無常を悟らしめ、奮起の原動力を養なわしめたに相違ない。三十三ヵ所巡礼の
事蹟が、どこまで本当かは不明としても、ともかく野に伏し山に寝る苦行のなかに、真実、人間性の
確立をめざして、法皇が脱皮して行ったことは想像にかたくない。」と(^^) テストの正解なんだけど、
兼家は永祚2年(990年)に亡くなってるから、長徳元年(995年)に「父にせがんで」は誤りだな(+_+)

気温上昇も昨日の雨で外は濡れてて昼まで強風ゆえ窓開けられず屋内は寒いままだし今も寒気する(+_+)
タグ:宗教 紀行
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180108読んだ本

中野京子『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』(光文社新書,2008)の記述、おかしいぞ(-_-)

「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」という肖像画の掲載頁から始まる次の記述、

   だが何と言っても[フェリペ]四世の功績は、まだ駆け出しの若い画家ディエゴ・ベラスケスの
   実力を認め、宮廷画家として厚遇したことであろう(この時ベラスケス二十四歳、王十八歳)。
   /フェリペ四世はいったんベラスケスに自分の肖像を描かせると、他の画家の手になる作品に
   我慢ならなくなったらしく、王宮から撤去させてしまった。高度な写実、色彩の妙、豊かな表現、
   巧みな筆致、しかもわざとらしい修正なしに王者の気品と威厳――これはむしろベラスケス自身
   が備えていた美質ではなかったか――を、見る者に伝える術を知っていたからだ。/ベラスケス
   描く四世の顏は、とうてい人好きするものではなく、長すぎる赤らんだ鼻、突き出た下唇と顎と
   いった先祖代々の特徴がいっそう先鋭的に現れており、お世辞にも美男とは言いがたい。むしろ
   醜い方だろう。しかしこの醜い顔の王は、黒ずくめの服を身にまとい、何の背景もない空間に、
   ただすうっと立っているだけで、曰く言いがたい王の威光を放っている。

この記述を素直に読めば、ベラスケスは24歳の時にフェリペ四世の肖像を描いて、大変気に入られた
わけだが、その肖像画『黒衣のフェリペ四世』は、なんとハプスブルク家の血筋らしい「醜い顔」に
描いたものだった、と(@_@;) 偉~い人の肖像画となれば、フツーは美化して描きそうなものなのに、
ベラスケス、凄ぉ~い! カッコいいじゃん!・・・等々、この記述を読んだ人はそう思うよね(^_^;)

中野京子は『怖い絵 泣く女篇』(角川文庫,2011)でも、

   十三、四歳のカルロス二世を描いたこの肖像画には、明らかに先代のベラスケス様式が見て
   とれる。ただしベラスケスは対象をことさら粉飾はしなかったが、カレーニョの方は宮廷風の
   慇懃な理想化がある。

と論じてるし、『怖い絵』(角川文庫,2013)でも、中野京子は次のようにベラスケスを評してる(^^)

   ベラスケスの肖像画家としての腕前は、まさに比類がなかった。フェリペ四世の醜い顔を格段
   美化することなく、その高貴と威厳をありありと目に見えるようにできたし、・・・

ベラスケスは国王に阿って「理想化」「美化」することなく、ありのままの写実に徹した硬派(?)の
肖像画家と、中野京子は一貫して評していて、これだけ繰り返し力説されちゃうと、中野京子の一連の
著作の愛読者たちは、ベラスケスに対し、同じようなイメージを植えつけられちゃうだろうね(@_@;)

でも、『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』の上記記述、よく吟味すると、変な点が(@_@)

ヒントになったのが、芸術新潮2002年4月号の「スペイン王家の夢のあと プラド美術館へようこそ!」
と題した特集(解説は美術史家の大髙保二郎)の次の記述なんだけど、よぉーくお読み下さいな(^^)

  Q ベラスケスが王付き画家になったのはいつですか?
  A 1623年、弱冠24歳での大抜擢でした。フェリペ4世の宰相オリバーレスが同郷という
    縁もあり、この年マドリードに招かれ、王の肖像を描くのです。見事このチャンスを
    ベラスケスはものにしました。前年、王室画家がひとり亡くなり、肖像画家のポストが
    空いていたことも彼にとっては幸運でした。

一つ飛ばして、次のように続いてる(^^)

  Q 師は、弟子の力を見抜いていたんですね。
  A [師の]パチェーコ自身は、画家としては凡庸ですが、当代きっての教養人でした。
    その著作『絵画論』によれば、王付き画家を命じられてからは、ベラスケスだけが
    フェリペ4世の肖像画制作を許され、ほかの画家が描いた王の肖像は、すべて宮廷
    から撤去するよう命じられたとか。
  Q 大変な厚遇ぶりですね。古参の王室画家たちから妬まれそうですが。
  A 「顔しか描けない肖像画家」などと中傷されたようです。それに対して
    「これまで本当に顔を描けた者はいたか?」とやり返したといいますから、
    ベラスケスにも自負があった。とはいえ実力の差は明らか、1627年、
    フェリペ4世はベラスケスを「王の私室取次係」、翌年には「王室画家」に
    任命しました。画家にして、宮廷官吏。ちょっと例のない、二足のワラジ生活
    のはじまりです。

中野京子『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』の上記記述の表現が類似してる点はさておき、
両者の記述には喰い違うような点は一見なさそうだけれどさ、ベラスケスがフェリペ四世の肖像画を
描いて気に入られたのが、何年の出来事だったかに注目されたい(^^)「1623年」とあるよね(^^)
ベラスケスは1599年の生まれだから(中野京子の前掲・光文社新書の巻末の【本書で取り上げた画家
(生年順)プロフィール】も、1599年になってる)、「二十四歳」の時は、やはり1623年になる(^^)

となると、変に思いませんか? フェリペ四世が初めてベラスケスに肖像画を描かせて気に入ったのが
1623年だったのに、中野京子が「1626~28年頃」の肖像画について解説してるのは不可解でしょ(@_@)
多分フェリペ四世が気に入ったという1623年の肖像画は、この「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』
(1626~28年頃)」ではなく、別の作品なんじゃないか、と考えるのが合理的じゃないかしら(@_@)

芸術新潮2018年1月号の特集「世にも奇妙な贋作事件簿 21世紀ブラック・レポート」を読んでいたら、
2枚の肖像画に目が留まったよ(゚o゚;) ともに「ディエゴ・ベラスケス《フェリペ4世像》」とある(^^)
「右/1628年・・・プラド美術館蔵」の方は、中野京子『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』
(光文社新書,2008)掲載の問題の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」と同じで、
「1628年」になってる(^_^;) もう1つの肖像画は「左/1624年頃・・・メトロポリタン美術館蔵」で、
このフェリペ4世の顏が右図=「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」と違うぞ(゚ロ゚;)
そこで、「王様を美化→見たまま描き直しが招いた混乱」と題された、その短い記事を読んでみると、

   宮廷画家になりたてホヤホヤのベラスケスが、国王をイケメン気味に描いたのがメトロポリタン
   美術館蔵の左図。いっぽうプラド美術館蔵の右図は(おそらく王自らの指示によって)左図を、
   より本人らしく(ハプスブルク家風の面長&三日月顎に)描き直したもの。メト版は長らく
   工房作とされていたが、2009年の修復で本人作の可能性が浮上。実は過去のX線調査によって、
   プラド版の下に左図と同一の画像があることが突き止められていたのだが、新たに両者の輪郭が
   ぴたりと一致することもわかった。つまり先に描かれたのはメト版で、ベラスケスの自筆・工房
   作を含め複数のコピーが作られていた。そして数年後、それらのうちの1点の上に描き直された
   自筆コピーがプラド版というわけ。自らのルックスにコンプレックスを持たない現実主義者の
   国王に“忖度”は無用だったようだ。

要は、中野京子が再三にわたって説いてきたベラスケス評とは異なり、「ベラスケスは対象をことさら
粉飾」した「宮廷風の慇懃な理想化」を行なっていて、「フェリペ四世の醜い顔を格段美化」していた
事実が2009年には明らかになっていたわけだ(^^) 勿論、「イケメン気味に描かれた」メトロポリタン
美術館蔵肖像画も1623年に初めて描かれた肖像画ではないようだし、それに『名画で読み解く ハプス
ブルク家 12の物語』(光文社新書,2008)は「2009年の修復」前に出版されたものではあるけどね^_^;
しかし、『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』(光文社新書,2008)が「ベラスケス『黒衣の
フェリペ四世』(1626~28年頃)」を1623年に初めて描かれた肖像画と読み手に受け取られるような
記述の仕方は問題だし、『怖い絵 泣く女篇』(角川文庫,2011)と『怖い絵』(角川文庫,2013)は、
ともに単行本を「加筆訂正し」た旨が最終頁に注記されてるのに、上記の如き見当外れなベラスケス評
がそのままなのは如何なものかな(-_-) 超売れっ子だから美術界の動向をフォローする暇もないか^_^;
中野京子の他の著作でも美術史家のものとは異なった記述が何度か見受けられたから、今更かもね^_^;

[追記180109]

リュカ様のコメントを拝読し、もしかしてと実家の本棚を探しに行ったら、2002年の国立西洋美術館
「プラド美術館展 スペイン王室コレクションの美と栄光」の読売新聞社発行の図録(カタログ)も
見付かったよ(^^) この図録のベラスケス《フェリペ4世》と題されたフェリペ四世22歳頃(1627年)
の軍服姿の胸像を描いた画の解説の中に次のようにあった(^^)

   ベラスケスが弱冠24歳の若さで宮廷画家に抜擢される機縁となった1623年8月30日の、初めて
   描いた国王の肖像は現存していない。おそらくハプスブルク王家メンバーの諸特徴が際立つ、
   リアルで不快なものであったに違いない。その後、工房作やレントゲン写真(fig.4[=例の
   中野京子の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」をX線調査したもの])
   が語るように、いくつか試行錯誤を重ねながら、「容姿が一層精確で、ポーズが一層端正で
   あるべき」(Brown 1886)二つの目的を達成したのがプラド美術館の全身像のフェリペ4世
   [=1628年の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」]であった。本作も
   それに関わる一作であるだろう。

「おそらく・・・違いない。」は1628年の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」
からの推論なんだろうけど、前述の「2009年の修復」で判明した事実を前に維持できるのかしら(^^)
「いくつかの試行錯誤を重ね」とあるのは、ベラスケスが「理想化」「美化」していた事実のことを
指したものと解せるわな(^^) さて、残された問題は「宮廷画家に抜擢される機縁となった1623年8月
30日の、初めて描いた国王の肖像」画が、プラド美術館蔵の1628年の「ベラスケス『黒衣のフェリペ
四世』(1626~28年頃)」の如き「醜い顔」なのか、それともメトロポリタン美術館蔵の1624年頃の
「イケメン気味に描」かれたようなものだったのか、に絞られるけど、どちらが合理的かしらね(^^)

[追記180109の2]

2002年の国立西洋美術館「プラド美術館展 スペイン王室コレクションの美と栄光」の読売新聞社発行
の図録に、大髙保二郎「ベラスケスと宮廷肖像~伝統と革新」という論稿も収録されてたよ(^^)

   弱冠24歳で宮廷画家に抜擢される機縁となった1623年8月30日制作の国王の肖像はどのような
   ものであったのか。「かつてこれほど巧く国王の肖像を描けた者はいない」(パチェーコ)と
   称えられた同作と資料的に直接結び付く作品は現存しない。ただ推測として、それはわずか1日、
   短時間で描かれた以上、リアルに仕上げた胸像習作で、おそらくメドゥーズ美術館の《フェリペ
   4世》(fig.1)に近いものであったに違いない。/この問題を解く鍵を提供するのが、プラド
   美術館の黒衣の《フェリペ4世立像》(fig.2)であるだろう。というのも同作は、フェリペ4世
   を全身像で描いた最初期の確実な真作とされるだけでなく、肉眼でも漠然とながら識別できる
   ように、容貌やポーズがまったく別の、早い時期の国王がその下に描かれていた事実がX線調査
   で判明したからである(fig.3)。近年の考察では、同一画布上の初期作と最終作との間に数年
   の時間的隔たりがあることが想定されている。そしてこの間に、初期作をもとに工房作が数点
   (例えばメトロポリタン美術館の同題作、fig.4)生まれたと推論される。

「肉眼でも」云々も驚いたけど、この論稿で、1623年の肖像画に「近いものであったに違いない」と
されている、この図録に載ってるfig.1(「1624年頃」と注記)の顏は、なんとfig.4(前述のメト版
のこと)とそっくりで「イケメン気味に描」かれてたもの(゚o゚;) ただ、先に「追記」した「解説」の
執筆者もまた大髙保二郎となっていて、同じ図録の中で一貫性がないように読めるんだけどね(^_^;)

[追記180109の3]

大髙保二郎の上記論稿の註をみると、問題の1628年の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~
28年頃)」のフェリペ四世の顔が描き直された理由について、「1.ハプスブルク家メンバーの容貌を
際立たせた、一層リアルな画像に対する国王自身の趣向があったのではないか、2.公的場所に展示用
の作品でなく、工房のためにプロトタイプとして置かれていたのではないか等。」の説がジョナサン・
ブラウンらの1998年の著作から引かれてるし、そもそも同作品が「肉眼でも」顔が修正されてるのは
判るというのだから、同作品を基にした中野京子のベラスケス評は一体何だったんだと改めて思う^_^;
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180107読んだ本

どうしてNHKの大河ドラマの主人公に選ばれないのだろうか?という歴史上の人物、結構いるよね^_^;
別に柳川とは何の関係もないけど、なぜ立花宗茂を取り上げないのか、マジ不思議(@_@;) 関ヶ原で
改易されたのに20年後に旧領を回復したドラマチックな人生、メチャ若いのに戦国武将としての能力は
群を抜いてる(^^) 笠谷和比古『関ヶ原合戦~家康の戦略と幕藩体制(講談社選書メチエ,1994)なんか、
もし立花宗茂が関ヶ原の主戦場に間に合ってたら西軍が勝ってたかも云々と註に書いてて、歴史学者が
歴史のifを論じちゃってるよぉ~!?と吃驚したのを憶えてる^_^; それほど魅力的な武将ということ(^^)

【読んだ本】

杉本苑子『西国巡拝記』(中公文庫,1980)所蔵本

再び本書に戻ったよん^_^; ネットで調べたところ、「施福寺[せふくじ]」が正式名称なのかしら、
「第四番 槇尾寺」を読んだら、杉本苑子大噴火w(゚o゚)wオー!ノー! 「三十三ヵ所霊場とはかぎらない。
日本の寺々にはともすると、草創の古さ、寺格の高さ、皇室はじめ過去の権力者にどれほどの庇護や
帰依をうけたかを、とくとくと語り、あたかもそれを寺の誇りとするごとき傾向をまま見かける。
しかしそんなことが、寺の名誉でも威信でもないことはあきらかである。」といった具合で、元々は
仏教総合月刊誌「大法輪」に連載、仏教書の総合出版社・大法輪閣から出版されたのにヒィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
小生の好みの説話も紹介されてたよ(^^) 〈ただ、槇尾山縁起にひとつ、おもしろい話が載っている。
欽明帝が病気にかかられたとき、葛城山中に修行している行満上人の噂を聞き、勅使を派遣して病気
平癒の祈禱を命ぜられた。上人はお受けしなかった。役人風はいつの時代も同じらしく、勅使は感情
を害して、/「日本国はすべて王土だから、そこに住んでいる者は勅命に背くわけにはゆかない」/
ときめつけた。上人いわく、/「それならば土地の上に住みませんよ」/というわけで、フワッと
空中に浮かんだきりになってしまった。あわてた勅使は不遜な言辞を謝罪して、ようよう上人におり
てもらったという。〉(^^) この話も杉本苑子は現代の寺院に対する批判へと展開していくんだけど、
宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)で類似説話を読んだ(@_@) 西国三十三ヵ所の第二十三番
でもある摂津国箕面の勝尾寺の第六代目座主・行巡の逸話で、貞観年間に清和天皇が重病となって、
病気平癒の加持祈禱のために、勅命で行巡を内裏に参内さすべく藤金吾を使者として派遣したところ、
行巡は拒否(゚o゚;) 藤金吾は〈この国土が続くかぎり、王(天皇)の臣下でないものはおらぬはず。
師は俗世間をお捨てになられたとはいえ、王地に住まわれていることは疑いありませぬ。であります
から、ただちにここをお立ちになって、帝の恩に報ずるべきではないかと存ずる次第であります」/
そこで行巡は、持っていた杖をまっすぐ地面に立てた。どうするのかと見ていると、その上にむしろ
を乗せ[ママ]、軽々とそこに飛び乗り、悠然と坐して言った。/「拙僧はかくのごとく、王地に
坐ってはおらぬ」/藤金吾も負けてはいない。/「さりながら、杖の下は王土ではござりませぬか」
/すると行巡は、今度は、つつっと空中に浮き上がり、そこにじっと留まった。さすがの藤金吾も、
これには仰天し、大あわてで戻り、内裏にこのことを奏上した。〉とあり、結局は改めて勅を発し、
参内せずとも陰ながら加護をたまわりたいと申し入れると、行巡は法衣一着と数珠一つを献上して、
その甲斐あって帝も平癒したと、元亨釈書や扶桑隠逸伝に載る説話を同書は紹介する(^^) どちらが
元ネタか、あるいは第三の元ネタから両者とも派生したものか分からんけど、行巡の方が面白い(^^)

タケミカヅチみたい^_^; 結局年賀ハガキの最後の1枚は自前のハンコ捺すのに失敗し再び書き損じ(+_+)

【追記180116】

手帖を見ると、読んだのは笠谷和比古『関ヶ原合戦 四〇〇年の謎』(新人物往来社,2000)かもm(__)m
タグ:宗教 紀行 説話
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