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180209読んだ本

純金の元名古屋嬢だけど実は庶民的なのよオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)ヾ( ̄ヘ ̄; )性格が安上がりなだけ!
先月31日の皆既月食、欠け始めたよと知らされてベランダに出たけど超寒いので速攻で屋内へ(-ω-、)
アップする人いるだろうから後でソネブロ巡回してキレイな画像を観賞すれば充分と判断v( ̄∇ ̄)ニヤッ
撮る人によって様々な表情を見せてくれてる気がして「我が身一つの月にはあらねど」ってか(⌒~⌒)

【読んだ本】

正徹(小川剛生・訳注)『正徹物語』(角川ソフィア文庫,2011)所蔵本

巻末の「解説」に「新古今集に心酔し、とくに藤原定家を讃仰して止まなかった正徹の・・・」とか
「但し冒頭に定家への信仰告白を置き、・・・」等とあるように本書の著者である室町時代の歌人の
正徹は藤原定家の信者^_^; でも、本書の記述からは、論語読みの論語知らずのような・・・(@_@;)

本書の第23段(現代語訳)に、こうあるんだよね(@_@)

   古今集の歌も、内容はさることながら、表現は古めかしく、当世の歌には合わない。
   古今集の歌であるからといって、全てを本歌に取って詠むべきでもない。とくに
   業平・伊勢・小町・躬恒・貫之・遍昭などの歌を取るべきである。古今集の中で
   本歌を取って詠むのに適した歌は、二百四、五十首を超えることはないであろう、
   ということである。

末尾「ということである。」は本書が聞き書き風だから(^^) 「二百四、五十首」に関し原文の脚注3に

   古今集は歌数約一一〇〇首なので、全体の二割程度である。
   先に挙がった六名の入集歌数を合計すると二四九首となる。

とあり、数字が合致する点は凄いね(゚o゚;) でも、気になるのは、この「六名」の人選なのさ(@_@)
藤原定家も評価する古今集の代表的歌人が入ってない(@_@;) 誰だか分かった人いる?(^o^)丿ハーイ!

八代集(古今和歌集から新古今和歌集までの8つの勅撰和歌集)から藤原定家が選出した秀歌撰である
八代抄について、樋口芳麻呂&後藤重郎(校注)『定家八代抄~続王朝秀歌選』(岩波文庫,1996)の
上巻巻末の「解説」には次のように記されている(^^)

   「定家八代抄」の初撰本と再撰本を比較すると、初撰本は最初に八代集から選出した秀歌
   だから、定家の好尚に強く合致した歌が多く、一方再撰本は世人の目に触れることを配慮
   して形態を整えた撰集であるから、無難に仕立てられているといえよう。

つまり、初撰本の方が藤原定家の「好尚に強く合致し」ているわけだが、同書「解説」に掲載された
「初撰本と再撰本について、入集歌の多い歌人を比べ」た一覧表で、前述の「六名」を見てみると、
再撰本は、紀貫之49首で第4位、在原業平39首で第5位、伊勢23首で第12位、凡河内躬恒23首で第12位、
小野小町18首で第17位、僧正遍昭16首で20位と、「六名」全員がランクイン(^^) ではでは、肝心の
初撰本ではどうかといえば、在原業平20首で第7位、紀貫之16首で第11位、僧正遍昭10首で第16位(^^)

名前が挙がってなくて不審に思ったのは、再撰本で18首第17位、初撰本も10首第16位の壬生忠岑(^^)v
何故この古今和歌集の撰者の一人であり(古今集入集歌数も、業平、伊勢、小町、遍昭より多い)、
三十六歌仙の一人を正徹は選ばなかったのかしら(@_@) 御覧の通り、八代抄にも多く撰ばれてるし、
藤原定家の歌論書『詠歌大概』にも次のようにある(橋本不美男&有吉保&藤平春男[校注・訳]
『新編日本古典文学全集87 歌論集』[小学館,2002]の藤平春男の訳による)(^^)

   古歌の中でもことに見習うべきなのは、『古今集』『伊勢物語』『後撰集』『拾遺集』と
   『三十六人集』の中のとくに上手な歌人の歌で、それらを思い浮かべるべきだ[『三十六
   人集』中の上手とは、人麿・貫之・忠岑・伊勢・小野小町など]。

また古今集の中の秀歌を問われた藤原定家と藤原家隆が、揃って百人一首にも入っている壬生忠岑の
「有明のつれなくみえし別れより暁ばかりうきものはなし」を推したという有名な説話もあるぞ(^^)

以上のように、藤原定家は壬生忠岑の歌を高く評価していたにもかかわらず、藤原定家信者の正徹が
古今集の歌を本歌取りする際に壬生忠岑の歌を排除したのは解せぬ(-_-) 本書の第1段(現代語訳)に

   和歌の道に身を置きながら定家を軽んずるような連中には、道の神の加護は絶対にないし、
   罰を受けるに違いない。

と記してたのだから、正徹に歌「道の神の加護は絶対にないし、罰を受けるに違いない」ね(^_^;)

更に言うと、古今集中の秀歌を問われた藤原定家と藤原家隆がともに壬生忠岑の「有明の」の歌を
挙げたという説話は多くの本に載ってるが、有吉保『百人一首』(講談社学術文庫,1983)によると、

   また、応永抄はこの歌[=「有明の・・・」]を定家・家隆が高く評価していた
   ということを伝えているが、この記事は『古今和歌集両度聞書』にもみえ、
   二条家に伝えられた説と知られる。

とあるのが興味深い(@_@;) 正徹は歌道を冷泉家に学び、当時の歌壇で冷泉家は二条家と対立してた
わけだからね(^_^;) つまり、ここでも正徹はポジショントークをしたんじゃないかという疑惑が(@_@)

そもそも久保田淳(校訂・訳)『藤原定家全歌集』(ちくま学芸文庫,2017)を上巻最初から見ると、
歌番号3と14の歌は古今集の素性法師の歌、歌番号26と27は古今集の読人不知の歌、歌番号46は紀友則、
歌番号48は紀淑望・・・といった感じで、前記「六名」以外の人の古今集入集歌を本歌取りしてる^_^;

フツーに考えれば、古今集からはアノ「六名」の歌以外は本歌取りしちゃダメなんてナンセンス(^_^;)

それにしてもスランプで寝床で本が読めぬ(+_+) これではいかんと夕方に少しだけ片付けた(..)
タグ:和歌
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