So-net無料ブログ作成
前の1件 | -

190825読んだ本

朝食前の有酸素運動は、前日の夕食で摂った糖質が枯渇している分、体脂肪がエネルギーとして使われ
やすいので減量に効果的とか_φ( ̄^ ̄ )メモメモ けど、一日のスタートから汗かくのはちょっと(´ヘ`;)

【読んだ本】

新田次郎『小説に書けなかった自伝』(新潮文庫,2012)所蔵本

この書名はかつて私小説が純文学の主流だった文壇を意識したものかと(@_@;) 自伝の形で自作解説
という感じで、新田次郎作品のブックガイドとして読めるし、〈如何にして作家になったか〉が随所に
語られているので作家を目指している人向けでもある(^^) モチ小生は前者の読書案内として(以上は
テンプレ)、続けて「メロドラマ的作品」を途中まで読んだが、昭和33年の話がメインの章か(@_@;)

この章の冒頭で語っている「文学界」に発表したという「虹の人」なる作品がチト気になるね(@_@;)

    ・・・故藤原咲平(元中央気象台長)と椋平広吉氏(椋平虹で知られている
    地震予知研究家)をモデルにして書いたものである。椋平氏は昭和の初めのころ、
    伊豆の大地震を予知したことによって一躍有名になった。彼の地震予知法は、
    特殊な虹を観測して、その色や、虹の出る方向、虹の形状等によって、何時、何処に
    どの程度の大きさの地震が発生するかを予知しようというものだった。/
    伊豆地震を予知したことによって椋平氏の名前は一躍有名になったが、多くの地震学者は
    彼の予知方法は科学的根拠にとぼしいものとして無視した。藤原咲平ひとりは、椋平氏に、
    毎月幾何[いくばく]かの研究費を、自腹を切って送って、この研究を続けさせた。
    藤原は椋平氏の虹の予知報の中に、科学では分らないなにかがあるに違いないと
    思っていたようであった。藤原咲平は私の伯父であって、私は一時期であったが、
    椋平氏から送られて来た、葉書に書きこんだ椋平虹のデータの整理を手伝わさせられた
    ことがあった。椋平氏にも、彼が上京して伯父の家に滞在中に会ったことがある。/
    私は「虹の人」の中で地震と虹との関係を追ったのではなく、第三者を設定して、
    地震と虹のまぼろしを追おうとさせたのである。/・・・

科学を過信しない態度、流石、藤原咲平だよねぇ( ̄◇ ̄;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ感心するのはチト早計だぞ!

ソレは「科学的根拠」を振りかざして多大な被害を招いた鹿児島のバカ測候所の弁護にもなった(-"-)
地元住民が異変を感じたので測候所に問い合わせたところ、「桜島には異変なし」とアホ回答をした
1914年1月12日の「桜島大正噴火」の話は、金子史朗『世界の大災害』(中公文庫,1988)を引く(-"-)

    ・・・/当時、学問として火山学・地震学のレベルが低かったことは
    認めなければならない。しかし、貧弱な地震計といっても鹿児島市ですら
    おびただしい地震を記録しているのだし、目と鼻の先の現地から前述したように、
    刻々電話報告がなされた。歴史時代の大噴火の経緯から住民が大噴火を憂慮したことに対して、
    科学的にはなんの根拠もないことであるとして「爆発説」を却下した測候所に
    住民の非難が集中したことは無理もない。この非難は不当で、不見識であったとも
    思われないのである。/はたして故事に学ぶことは「学問的とはいえない」のであろうか。
    わたしはそのような態度の中に、一部技術者の思いあがった姿をみいださずにはいられない。
    貧弱な施設の測候所に、火山の予知をしろという義務を負わせたことがそもそも誤りのもと
    であった、という議論もおかしい。いったいなんのために地震計を設置したのだろうか。
    測候所擁護論者は、桜島の火山性の地震は測候所では感じていなかったと述べているが、
    これはまったくの嘘である。というのは、十二日朝十時ごろ東京の大森房吉(地震学者)は
    十一日午前三時から十二日朝六時まで三三七回の地震があったという電報を鹿児島から
    受信しているからである。/当時、中央気象台の藤原咲平も測候所を弁護して、
    大爆発の予知ができなかったのは、地震学・火山学の幼稚にあった、と述べている。
    しかし、少なくともこの意見は、今回の桜島に関しては正しくない。噴火までに地震計は
    四一八回の地震を記録し、初発以来、初期微動は十一日にかぎっても三秒から一秒と
    明らかに短くなっている。村長の報告と合わせて検討すれば、桜島の下でどういうことが
    進行中なのかぐらいはわかるはずである。/大噴火が過去にいかなる経緯で起ったかについて、
    測候所はなんらの予備知識をももっていなかったのであろう。大正噴火のパターンは、
    まさに安永のそれとそっくりそのままである。古記録を調べれば明白なのである。・・・

歴史を軽視してるから気象予報士も天気予報がハズレてもヘラヘラ笑うだけで謝らないのかも(@_@;)

本書の記述に照らして事実の捏造が数箇所あると、古川武彦『気象庁物語 天気予報から地震・津浪・
火山まで』(中公新書,2015)に関して指摘してきたが、同書は「はじめに」(同書ⅲ頁)で「・・・
気象庁の歴史を観測システムや技術の開発、行政上の組織の変遷を軸に、それらに携わった人たちの
実話や逸話を交えながら紹介したい。」としながら、この桜島大正噴火での測候所の判断ミスの話は
本文では全く触れられてないし、その巻末の「気象庁年表」にも載ってない∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!?
黒歴史は記録から抹殺し無かったことにする社会主義国の如き気象庁OBヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

本書に戻ると、ユニーク過ぎると言うか、フツーの人が思い付かないような発想が紹介されてる(^_^;)

    この当時、ロケットの研究専門委員会のようなものが学者の間に進められていた。
    私の課長の佐貫亦男博士がこのメンバーの一人だった。この専門委員会が東京大学の
    安田講堂の一室で開かれたとき、佐貫先生と共に出席したことがあった。この席上、
    東大教授の糸川博士が、/〈将来は、人間が何人も乗りこむようなロケットが
    作られるだろう。そういうときには、新聞記者なぞがこっそり忍び込むようなことが
    できない構造のものを設計しなければならない。そういうことは今から心がけて
    置かねばならない〉/と云った。まだまだ、野球のボールぐらいのロケットが
    打ち上げられるかどうか、それにはどんな計器を取りつければいいのか、
    その計器についての研究部会の席上で、真面目な顔でこんなことを云った糸川博士に
    私はすこぶる驚いた。/・・・

・不平ばかりで仕事をしない者が多くて真面目に仕事する人は白い眼で見られた「処女作のころ」(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-23

・投稿しても落選続きの原稿を直木賞受賞後は新編集長は〈面白い〉と言う「投稿作家の四年間」(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-24

・〈あなたは落ちるに決っています。面白くない小説ですものね〉と妻に言われた「直木賞受賞」(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-29

・受賞後第一作は酷評も石原慎太郎の小説などは「アホくさ」と評された「昼の仕事 夜の仕事」(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-08-01

・40歳を過ぎて作家となったので、その個性を確立しようと試行錯誤する「方向づけに苦しむ」(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-08-16
コメント(14) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の1件 | -