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171007読んだ本

我が人生、後悔の連続だが、岩切友里子(編著)大蘇芳年(画)『月百姿』(東京堂出版,2010)を
買わなかったことはマジ悔まれる(ノ_-;)ハア… 図書館で借りて読み終えた時に購入すること考えるも、
15000円+消費税に躊躇してしまったばかりに、買おうと決意した今、品切れ・重版未定とは(;_;)
本も、いつまでもあると思うな、なんだな(..) 「いつまでもあると思うな妻の愛」には笑った^_^;

【読んだ本】

目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫,2005)所蔵本

律儀ゆえ廻らねばならぬとこが多くて長居できぬお客様は枕だけ聴いて噺は聴かずにお帰りか(^。^;)
しつこいようだが、小生などは本書から教わることがメチャ多くて、インスパイアされまくっている
けど、「二章 敗北の帝王――陽成院・三条院・崇徳院」を読んでる途中で、三度気になる点が(..)
「眼を病む三条院にとって、降りそそぐ月光を仰ぐことは何よりの慰めだったようで(その明るさは
分ったのであろう)。勅撰にとられた八首の半ばは月を詠んだものである。」として詞花集の1首と
新古今集の2首を紹介した後、〈みな[百人一首に撰ばれた]「心にもあらで」の作と共通の孤独な
ムードをたたえていて、院の半ば心眼ともいうべきものに映った月影が、この世のものならぬ光を
放っていたことがしみじみと共感される。〉とする(@_@) だが、その新古今集の歌の一つは「月影の
山のはわけてかくれなば そむくうき世をわれやながめん」で、同歌の詞書「みこの宮と申しける時、
少納言藤原統理[むねまさ]、年ごろ/なれ仕うまつりけるを、世をそむきぬべきさまに/思ひ立ち
けるけしきを御覧じて」も引用しながら、同歌まで「院の半ば心眼ともいうべきものに映った月影が、
この世のものならぬ光を放っていた」、「月を詠んだものである」と評するのは理解に苦しむよ(+_+)
峯村文人(校注・訳)『新編 日本古典文学全集 43 新古今和歌集』(小学館,1995)は、この詞書を
「東宮と申しあげていた時、少納言藤原統理が、年来親しくお仕え申しあげていたが、今にも出家
してしまいそうに決心していた様子をご覧になって」、同歌を「月の光が山の端を分けて隠れるよう
に、お前が出家して山に隠れてしまうならば、お前の捨てるつらい世を、わたしは、一人物思いを
しながら過ごすことであろうか。」と訳すように、この「月影」とは(手元の各注釈書も一致して
指摘しているけど)「統理の隠喩。」(久保田淳[訳注]『新古今和歌集』下[角川ソフィア文庫,
2007])であるのは誰の眼にも明らかだろ^_^; つまり、同歌は「力になっていた藤原統理の出家を
思いとどまらせようとした作。」(峯村・前掲書)であって、それを「月を詠んだものである」とは
あまりにも表面的な理解で、読んでて眼を疑っちゃったよ(+_+) 〝喩え〟の方だけに反応されたら、
三条院も作者として嬉しくなく、がっかりするであろうことは小生などはよぉーーく解る(´・ω・`)

ちなみに、新古今集には月を詠んだ秀歌が多いのさ(^^) 「脱井鱈スゴ子」と「着手鱈スゴ美」ね^_^;

タグ:歴史 和歌
コメント(2) 
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コメント 2

ぽちの輔

古本屋さんで見た時は即買いでしょうね^^
by ぽちの輔 (2017-10-08 06:28) 

middrinn

ですよねぇ~^_^;
いつも猫の画像が可愛いですね(^^)
by middrinn (2017-10-08 06:39) 

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