So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

180108読んだ本

中野京子『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』(光文社新書,2008)の記述、おかしいぞ(-_-)

「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」という肖像画の掲載頁から始まる次の記述、

   だが何と言っても[フェリペ]四世の功績は、まだ駆け出しの若い画家ディエゴ・ベラスケスの
   実力を認め、宮廷画家として厚遇したことであろう(この時ベラスケス二十四歳、王十八歳)。
   /フェリペ四世はいったんベラスケスに自分の肖像を描かせると、他の画家の手になる作品に
   我慢ならなくなったらしく、王宮から撤去させてしまった。高度な写実、色彩の妙、豊かな表現、
   巧みな筆致、しかもわざとらしい修正なしに王者の気品と威厳――これはむしろベラスケス自身
   が備えていた美質ではなかったか――を、見る者に伝える術を知っていたからだ。/ベラスケス
   描く四世の顏は、とうてい人好きするものではなく、長すぎる赤らんだ鼻、突き出た下唇と顎と
   いった先祖代々の特徴がいっそう先鋭的に現れており、お世辞にも美男とは言いがたい。むしろ
   醜い方だろう。しかしこの醜い顔の王は、黒ずくめの服を身にまとい、何の背景もない空間に、
   ただすうっと立っているだけで、曰く言いがたい王の威光を放っている。

この記述を素直に読めば、ベラスケスは24歳の時にフェリペ四世の肖像を描いて、大変気に入られた
わけだが、その肖像画『黒衣のフェリペ四世』は、なんとハプスブルク家の血筋らしい「醜い顔」に
描いたものだった、と(@_@;) 偉~い人の肖像画となれば、フツーは美化して描きそうなものなのに、
ベラスケス、凄ぉ~い! カッコいいじゃん!・・・等々、この記述を読んだ人はそう思うよね(^_^;)

中野京子は『怖い絵 泣く女篇』(角川文庫,2011)でも、

   十三、四歳のカルロス二世を描いたこの肖像画には、明らかに先代のベラスケス様式が見て
   とれる。ただしベラスケスは対象をことさら粉飾はしなかったが、カレーニョの方は宮廷風の
   慇懃な理想化がある。

と論じてるし、『怖い絵』(角川文庫,2013)でも、中野京子は次のようにベラスケスを評してる(^^)

   ベラスケスの肖像画家としての腕前は、まさに比類がなかった。フェリペ四世の醜い顔を格段
   美化することなく、その高貴と威厳をありありと目に見えるようにできたし、・・・

ベラスケスは国王に阿って「理想化」「美化」することなく、ありのままの写実に徹した硬派(?)の
肖像画家と、中野京子は一貫して評していて、これだけ繰り返し力説されちゃうと、中野京子の一連の
著作の愛読者たちは、ベラスケスに対し、同じようなイメージを植えつけられちゃうだろうね(@_@;)

でも、『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』の上記記述、よく吟味すると、変な点が(@_@)

ヒントになったのが、芸術新潮2002年4月号の「スペイン王家の夢のあと プラド美術館へようこそ!」
と題した特集(解説は美術史家の大髙保二郎)の次の記述なんだけど、よぉーくお読み下さいな(^^)

  Q ベラスケスが王付き画家になったのはいつですか?
  A 1623年、弱冠24歳での大抜擢でした。フェリペ4世の宰相オリバーレスが同郷という
    縁もあり、この年マドリードに招かれ、王の肖像を描くのです。見事このチャンスを
    ベラスケスはものにしました。前年、王室画家がひとり亡くなり、肖像画家のポストが
    空いていたことも彼にとっては幸運でした。

一つ飛ばして、次のように続いてる(^^)

  Q 師は、弟子の力を見抜いていたんですね。
  A [師の]パチェーコ自身は、画家としては凡庸ですが、当代きっての教養人でした。
    その著作『絵画論』によれば、王付き画家を命じられてからは、ベラスケスだけが
    フェリペ4世の肖像画制作を許され、ほかの画家が描いた王の肖像は、すべて宮廷
    から撤去するよう命じられたとか。
  Q 大変な厚遇ぶりですね。古参の王室画家たちから妬まれそうですが。
  A 「顔しか描けない肖像画家」などと中傷されたようです。それに対して
    「これまで本当に顔を描けた者はいたか?」とやり返したといいますから、
    ベラスケスにも自負があった。とはいえ実力の差は明らか、1627年、
    フェリペ4世はベラスケスを「王の私室取次係」、翌年には「王室画家」に
    任命しました。画家にして、宮廷官吏。ちょっと例のない、二足のワラジ生活
    のはじまりです。

中野京子『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』の上記記述の表現が類似してる点はさておき、
両者の記述には喰い違うような点は一見なさそうだけれどさ、ベラスケスがフェリペ四世の肖像画を
描いて気に入られたのが、何年の出来事だったかに注目されたい(^^)「1623年」とあるよね(^^)
ベラスケスは1599年の生まれだから(中野京子の前掲・光文社新書の巻末の【本書で取り上げた画家
(生年順)プロフィール】も、1599年になってる)、「二十四歳」の時は、やはり1623年になる(^^)

となると、変に思いませんか? フェリペ四世が初めてベラスケスに肖像画を描かせて気に入ったのが
1623年だったのに、中野京子が「1626~28年頃」の肖像画について解説してるのは不可解でしょ(@_@)
多分フェリペ四世が気に入ったという1623年の肖像画は、この「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』
(1626~28年頃)」ではなく、別の作品なんじゃないか、と考えるのが合理的じゃないかしら(@_@)

芸術新潮2018年1月号の特集「世にも奇妙な贋作事件簿 21世紀ブラック・レポート」を読んでいたら、
2枚の肖像画に目が留まったよ(゚o゚;) ともに「ディエゴ・ベラスケス《フェリペ4世像》」とある(^^)
「右/1628年・・・プラド美術館蔵」の方は、中野京子『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』
(光文社新書,2008)掲載の問題の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」と同じで、
「1628年」になってる(^_^;) もう1つの肖像画は「左/1624年頃・・・メトロポリタン美術館蔵」で、
このフェリペ4世の顏が右図=「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」と違うぞ(゚ロ゚;)
そこで、「王様を美化→見たまま描き直しが招いた混乱」と題された、その短い記事を読んでみると、

   宮廷画家になりたてホヤホヤのベラスケスが、国王をイケメン気味に描いたのがメトロポリタン
   美術館蔵の左図。いっぽうプラド美術館蔵の右図は(おそらく王自らの指示によって)左図を、
   より本人らしく(ハプスブルク家風の面長&三日月顎に)描き直したもの。メト版は長らく
   工房作とされていたが、2009年の修復で本人作の可能性が浮上。実は過去のX線調査によって、
   プラド版の下に左図と同一の画像があることが突き止められていたのだが、新たに両者の輪郭が
   ぴたりと一致することもわかった。つまり先に描かれたのはメト版で、ベラスケスの自筆・工房
   作を含め複数のコピーが作られていた。そして数年後、それらのうちの1点の上に描き直された
   自筆コピーがプラド版というわけ。自らのルックスにコンプレックスを持たない現実主義者の
   国王に“忖度”は無用だったようだ。

要は、中野京子が再三にわたって説いてきたベラスケス評とは異なり、「ベラスケスは対象をことさら
粉飾」した「宮廷風の慇懃な理想化」を行なっていて、「フェリペ四世の醜い顔を格段美化」していた
事実が2009年には明らかになっていたわけだ(^^) 勿論、「イケメン気味に描かれた」メトロポリタン
美術館蔵肖像画も1623年に初めて描かれた肖像画ではないようだし、それに『名画で読み解く ハプス
ブルク家 12の物語』(光文社新書,2008)は「2009年の修復」前に出版されたものではあるけどね^_^;
しかし、『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』(光文社新書,2008)が「ベラスケス『黒衣の
フェリペ四世』(1626~28年頃)」を1623年に初めて描かれた肖像画と読み手に受け取られるような
記述の仕方は問題だし、『怖い絵 泣く女篇』(角川文庫,2011)と『怖い絵』(角川文庫,2013)は、
ともに単行本を「加筆訂正し」た旨が最終頁に注記されてるのに、上記の如き見当外れなベラスケス評
がそのままなのは如何なものかな(-_-) 超売れっ子だから美術界の動向をフォローする暇もないか^_^;
中野京子の他の著作でも美術史家のものとは異なった記述が何度か見受けられたから、今更かもね^_^;

[追記180109]

リュカ様のコメントを拝読し、もしかしてと実家の本棚を探しに行ったら、2002年の国立西洋美術館
「プラド美術館展 スペイン王室コレクションの美と栄光」の読売新聞社発行の図録(カタログ)も
見付かったよ(^^) この図録のベラスケス《フェリペ4世》と題されたフェリペ四世22歳頃(1627年)
の軍服姿の胸像を描いた画の解説の中に次のようにあった(^^)

   ベラスケスが弱冠24歳の若さで宮廷画家に抜擢される機縁となった1623年8月30日の、初めて
   描いた国王の肖像は現存していない。おそらくハプスブルク王家メンバーの諸特徴が際立つ、
   リアルで不快なものであったに違いない。その後、工房作やレントゲン写真(fig.4[=例の
   中野京子の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」をX線調査したもの])
   が語るように、いくつか試行錯誤を重ねながら、「容姿が一層精確で、ポーズが一層端正で
   あるべき」(Brown 1886)二つの目的を達成したのがプラド美術館の全身像のフェリペ4世
   [=1628年の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」]であった。本作も
   それに関わる一作であるだろう。

「おそらく・・・違いない。」は1628年の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~28年頃)」
からの推論なんだろうけど、前述の「2009年の修復」で判明した事実を前に維持できるのかしら(^^)
「いくつかの試行錯誤を重ね」とあるのは、ベラスケスが「理想化」「美化」していた事実のことを
指したものと解せるわな(^^) さて、残された問題は「宮廷画家に抜擢される機縁となった1623年8月
30日の、初めて描いた国王の肖像」画が、プラド美術館蔵の1628年の「ベラスケス『黒衣のフェリペ
四世』(1626~28年頃)」の如き「醜い顔」なのか、それともメトロポリタン美術館蔵の1624年頃の
「イケメン気味に描」かれたようなものだったのか、に絞られるけど、どちらが合理的かしらね(^^)

[追記180109の2]

2002年の国立西洋美術館「プラド美術館展 スペイン王室コレクションの美と栄光」の読売新聞社発行
の図録に、大髙保二郎「ベラスケスと宮廷肖像~伝統と革新」という論稿も収録されてたよ(^^)

   弱冠24歳で宮廷画家に抜擢される機縁となった1623年8月30日制作の国王の肖像はどのような
   ものであったのか。「かつてこれほど巧く国王の肖像を描けた者はいない」(パチェーコ)と
   称えられた同作と資料的に直接結び付く作品は現存しない。ただ推測として、それはわずか1日、
   短時間で描かれた以上、リアルに仕上げた胸像習作で、おそらくメドゥーズ美術館の《フェリペ
   4世》(fig.1)に近いものであったに違いない。/この問題を解く鍵を提供するのが、プラド
   美術館の黒衣の《フェリペ4世立像》(fig.2)であるだろう。というのも同作は、フェリペ4世
   を全身像で描いた最初期の確実な真作とされるだけでなく、肉眼でも漠然とながら識別できる
   ように、容貌やポーズがまったく別の、早い時期の国王がその下に描かれていた事実がX線調査
   で判明したからである(fig.3)。近年の考察では、同一画布上の初期作と最終作との間に数年
   の時間的隔たりがあることが想定されている。そしてこの間に、初期作をもとに工房作が数点
   (例えばメトロポリタン美術館の同題作、fig.4)生まれたと推論される。

「肉眼でも」云々も驚いたけど、この論稿で、1623年の肖像画に「近いものであったに違いない」と
されている、この図録に載ってるfig.1(「1624年頃」と注記)の顏は、なんとfig.4(前述のメト版
のこと)とそっくりで「イケメン気味に描」かれてたもの(゚o゚;) ただ、先に「追記」した「解説」の
執筆者もまた大髙保二郎となっていて、同じ図録の中で一貫性がないように読めるんだけどね(^_^;)

[追記180109の3]

大髙保二郎の上記論稿の註をみると、問題の1628年の「ベラスケス『黒衣のフェリペ四世』(1626~
28年頃)」のフェリペ四世の顔が描き直された理由について、「1.ハプスブルク家メンバーの容貌を
際立たせた、一層リアルな画像に対する国王自身の趣向があったのではないか、2.公的場所に展示用
の作品でなく、工房のためにプロトタイプとして置かれていたのではないか等。」の説がジョナサン・
ブラウンらの1998年の著作から引かれてるし、そもそも同作品が「肉眼でも」顔が修正されてるのは
判るというのだから、同作品を基にした中野京子のベラスケス評は一体何だったんだと改めて思う^_^;
タグ:絵画
コメント(20)