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180401読んだ本

春なのに? 春だから? 夜が明ける直前に目が覚めちゃって、窓越しに鳥の啼く声が聴こえる(-ω-、)
森高千里を呼び止めて「オレは10回ストーンズ見に行ったゼ」と豪語した「おじさん」は今頃どこかで
「ロックンロールについて指導してやった! 森高はワシが育てた」と吹聴してたりしてヒィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
戯言や冗談を真に受けちゃうアホも居るからさ、「ワシが育てた」とか言った者勝ちなのかも(@_@;)

【読んだ本】

朧谷寿『清和源氏』(教育社歴史新書,1984)所蔵本

余人のことはいさ知らず、きちんと読んでても興味・関心が無いと記憶に残らぬみどりんなり(-ω-、)

杉本苑子『二条院ノ讃岐』(中公文庫,1985)で、二条院讃岐やその父・源三位頼政の他にも、仲政
(頼政の父)、頼綱(仲政の父)、頼実(頼綱の兄)、頼光(頼実・頼綱の祖父)、頼家(頼光の子)
といった摂津源氏の面々が歌詠みでもあった事実を紹介している件を読んでた際に、思い出したのは、
百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)で、同書は、頼綱、仲正[ママ]、頼政、仲綱
の「・・・四代にわたって新奇な表現を好む歌風を保ってきたわけなのである。」とも指摘してた(^^)

  『二条院ノ讃岐』⇒ http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-03
  『新古今和歌集一夕話』 ⇒ http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-12-23

本棚を眺めていたら、大昔に読んだ本書が目に留まり、目次の「2 源 頼光――摂津源氏の祖」の章の
見出しをチェックすると、「頼光一門の歌人たち」というのがあるじゃん∑( ̄ロ ̄|||)なんですと!?
慌てて披いてみたけど、当該件には他の頁とは異なって付箋が一枚も貼られてなかったよ(ノ_-;)ハア…

    十指にあまる頼国[頼光の子]の男子のうちで歌人としてすぐれていたのは頼実と
    頼綱であろう。その歌のすぐれたさまを『今鏡』では「左衛門尉頼実といふ蔵人、
    歌の道優れて」「三河守頼綱は、歌の道にとりて、人も許せりけり。我が身にも、
    殊の外に思ひ上りたる気色なりけり」と表現し、とりわけ弟の頼綱は、白河院歌壇の
    重鎮となった源俊頼の若い時代の指導者的立場にあったという。それはともかくとして、
    俊頼・能因・[大江]匡房ら当時の歌壇の名士と親交があったことはたしかである。

はぁ!? 源頼綱が稀代の歌人「源俊頼の若い時代の指導者的立場にあった」だとぉ( ̄◇ ̄;)エッ!?

源俊頼と言えば、勅撰和歌集である金葉和歌集を独撰した歌人で、分り易く言えば、『百人一首』の
藤原定家が歌論書『近代秀歌』において優れた歌人として名を挙げた6人の歌人の一人( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
俊頼の父の源経信も優秀な歌人で、やはり定家は6人の筆頭に挙げていて(『近代秀歌』は橋本不美男
&有吉保&藤平春男[校注・訳]『新編日本古典文学全集87 歌論集』[小学館,2002]所収)、経信が
亡くなったのは俊頼が42歳の時ゆえ、「俊頼の若い時代の指導者」は身近に居たと思うのだが(@_@;)

そこで、本書が言及する『今鏡』の当該箇所を、竹鼻績(全訳注)『今鏡(下)』(講談社学術文庫,
1984)で確認し、その「三六一 頼綱自讃の事」から〈現代語訳〉を引くと、

    三河守頼綱は、歌道に関して、世間の人も優れていると認めていました。
    頼綱自身でも、格別に自負している様子でした。俊頼という人が、
    少将でありましたとき、頼綱が言いましたことには、/「少将殿、少将殿、
    和歌を詠もうとお思いならば、頼綱に供え物をなさいませ。特別のものも
    必要ありますまい。供え物の洗米を、二皿お供えなさいませ」/などと
    いいました。・・・

コレから「・・・頼綱は、・・・源俊頼の若い時代の指導者的立場にあったという。」と解するのは、
明らかに論理が飛躍してるじゃんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!! 「源俊頼はワシが育てた」とすら、
頼綱は言ってねーぞ(-"-) 実際、同書の〈補説〉も、

    このころの俊頼は、歌人としては無名で、当時催された歌合・歌会などにも
    出詠しておらず、歌道に精進していた。頼綱のことばは、そのような俊頼を
    つかまえての戯言[ざれごと]であるが、頼綱の歌人としての自負がうかがえる。
    /・・・また頼綱の妹は俊頼の長兄道時と結婚している。このような関係で、
    頼綱と俊頼とが接する機会があったものであろう。

井上宗雄『平安後期歌人伝の研究 増補版』(笠間書院,1988)も『今鏡』の当該件を引いた上で、

    俊頼の長兄道時の妻は頼綱の妹である(中右記天仁元年六月八日の条)。
    ・・・頼綱・俊頼の年齢が三十以上離れていても、義理の兄弟である。
    つまり和歌にようやく眼を向け出した義弟に対して冗談めかしての言と
    思われるが、頼綱が歌人としての自負を持っていた事は察知しうるであろう。

以上、この「戯言」「冗談」は源頼綱の「歌人としての自負」を示すだけで、頼綱が「源俊頼の若い
時代の指導者的立場にあった」と解するのは歴史家にあるまじきオーヴァーランだろヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
頼綱が「源俊頼の若い時代の指導者的立場にあったという」ことを示す何か別の文献史料に依拠して
朧谷寿が記述した可能性も皆無ではないが、ソレを和歌史の専門家が見逃すとは思えぬC= (-。- ) フゥー

昨日まで20位だったのが一気に6位とは、So-netによるエイプリル・フールかシステム障害か(@_@;)
タグ:和歌
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